BIOSECURE ACTによる中国企業排除の動き

米国でBIOSECURE ACTという法案が今年議会上院の専門委員会を通過し、2025年くらいまでには法制化されるだろうと言われています。このBIOSECURE ACTでは何社かの中国企業が名指しされ、米国の連邦政府の調達案件か排除されるとともに、こうした企業と取引のある一般企業も連邦政府の調達案件やグラントから排除するという厳しいものです。

最初は遠巻きに様子をうかがっていた米国企業も、2024年も中盤になり、こうした中国企業排除に舵をきりだしています。

BIOSECURE ACTでは、医薬研究において受託研究や受託製造をする企業が対象になっています。名指しされた企業が、米国の遺伝子情報を中国政府や人民解放軍に提供していると指摘されています。こうした事実があるのかないのかはわかりませんが、とにかく米国が名指しされた企業に代表される、中国の受託研究&製造企業を、米国市場から排除しようと動き出しているのは確かな事実です。

この背景は医薬品業界でも上流の、研究や開発などに従事する人でないと今一つわからないと思うので、今日は少し解説したいと思います。

医薬品研究というのは現在、製薬企業の中だけでは完結しません。研究の一部、あるいは大部分は医薬品研究を受託する企業(Contract Research Organization=CRO)に外注されています。中国のCROは2000年代初頭に多くが設立され、私もそうした中国のCROで働いていたことがあります。現在は同業のインド企業の仕事をしています。中国のCROの中でもWuxi Pharmatech社という企業は、現在世界で最大手であり、医薬研究の初期から臨床試験や原薬や製剤の受託製造まで一気通貫で実施できる企業です。つまり同社はその気になれば、自社でも新薬を創生し、製造、臨床開発まで実施することができる企業です。米国では製薬企業だけでなく、多くのバイオベンチャーが同社のサービスを使用しており、米国での業界シェアはNO.1です。

私は2006年に中国のCROに転職する直前まで、日本の商社に勤めていました。そこで入社した中国のCROや、今回名指しされているWuxi Pharmatech社の創業期から一緒に仕事をしていました。当時のWuxi Pharmatech社の社長は非常に厳しい人で有名で、たくさんの研究者があまりの厳しさに職場放棄して逃げ出すような会社でした。一方顧客から見れば、納期は守るし、徹底した品質管理と高い技術があったので、あっという間に大きくなりました。

その後2010年に、Wuxi Pharmatech社は同業の米国企業であるCharles River社に買収されそうになりました。ですがCharles River 社の株主の反対があり、まとまりかけていた買収案を、違約金を払ってまでご破算としたのです。その時業界人の多くが、「ここでCharles River社が買収しなかったら、次はCharles River社が同社に買収される」とうわさしました。そのぐらい当時から勢いがありました。その後のWuxi Pharmatech社の成長は著しく、現在他社に圧倒的な優位性をつけてこの業界に君臨しているというわけです。

そして同社が圧倒的に優位であるということは、米国で実施されている医薬研究の多くが、現在同社、あるいは同社が抱える中国人研究者なしでは成し遂げられないということです。遺伝情報の漏洩問題を除いても、同社が圧倒的なマーケットシェアを持っていること自体が米国にとって脅威であるということなのかもしれません。

似たような構図は、IT業界でもあったことを記憶している方もいるでしょう。圧倒的な技術力を持つHuaweiという会社が米国市場から排除された一件です。同社が米国から排除された後、米国だけでなく、米国に追従する様々な国から、Huawei社は携帯電話や基地局などの携帯インフラ事業から撤退させられました。同じことが医薬業界でも起きようとしているのではないかと思います。

ちなみに日本には、Wuxi Pharmatech社のように手広い医薬研究サービスを提供できる企業はありません。日本の場合、製薬企業とCROの間には長らく大きな溝があり、人材交流がありませんでした。そのためか日本のCROはどちらかと言えば、プロトコールの決まった動物試験や、製造工程が確立した製造受託などを実施する企業が多く、研究の初期の創薬のような非常にクリエイティブな部分を受託できる企業というのはありませんでした。

創薬研究を担う企業として、数年前に武田薬品工業からスピンオフしたAxcelead社や、第一三共のスピンオフであった第一三共ノバーレ社など創薬研究もできるCROがありますが、Wuxi Pharmatech社の規模とは全く比較になりません。日本の場合は研究のノウハウ自体はあるのですが、いかんせん営業が弱く、メインの市場である米国企業からプロジェクトが取れないので、企業としては採算が合わないでしょう。アステラスも一時そうした創薬研究型CROを持っていましたが結局解散し、第一三共ノバーレ社も、第一三共のプロジェクトの下請けが専業で目立った活動はなく、再び第一三共に吸収されると聞きます。とにかく、創薬研究のプロジェクト数は米国が圧倒的で予算規模も大きいので、米国市場に食い込めないCROやCDMOは大きくなれません。

CDMOとは開発から商用までの原薬や製剤の受託をする企業です。日本の場合、富士フィルムやAGC、JSRが医薬分野でCDMOとして活動していますが、主に儲かっているのは米国にある製造拠点であり、米国人が米国市場向けに営業してプロジェクトを受注している分で、日本向けの仕事ではありません。

それを勘違いした箱もの好きの厚労省が、日本にCDMOをたくさん作れば儲かる、日本から新しい薬を生み出す支援になると思っているようですが、ピントがずれています。日本初の薬を増やすために必要なことは、開発以降のサポートをする企業を増やすことではなく、開発すべき医薬候補品を作るべく、創薬ベンチャーに資金や人材を投入することです。文系の役人がこの手の政策を考えると本当に日本がダメになると感じます。

創薬研究での中国人研究者の存在は非常に大きなものです。創薬研究のCROが存在する以前から、米国の製薬企業やバイオベンチャーで医薬研究に従事する中国人は非常に多かったのです。中国政府はそうした研究者たちを米国から呼び寄せ、Wuxi Pharmatechをはじめとした創薬CROを作らせ、中国の医薬研究の底上げを図ってきました。

現在はあまり言いたくはないですが、医薬研究においては日本の研究レベルより中国の方が上でしょう。学術論文などでも圧倒的大差をつけられています。新型コロナウイルスの研究をしていたとされる中国武漢の研究所に匹敵するような技術力のある国立の研究所は残念ながら日本にはありません。

分岐点はおそらく2010年くらいだったのではないかと思います。当時日本の政府は中国の研究を下に見ており、米国の真似さえすれば日本の創薬レベルは上がると思っていたと思います。日本はまずは形からと、米国の国立衛生研究所(NIH)を真似しようとしましたが、財政規模的にもかなわず、中途半端なAMEDという機関を作って満足してしまいました。

そのうちに日本の大学は研究予算をどんどん減らされ競争力がなくなり、博士課程の学生は激減し、現在はかなり危機的状況になっています。米国のNIHは確かに基礎研究では非常に大きな役割を担っていますが、創薬研究はバイオベンチャーや創薬CROが重要な役割を担っており、国のグラントだけではなしえません。最近医薬研究のわからない役人が必死に国の医薬研究を管理しようとしている様に見えるのですが、それよりVCによる自由な投資を促進した方が良い結果が出るということを米国から学んでいないと感じます。

最後は愚痴になってしまったのですが、政治的な対立はあるにせよ、高度な技術を排除するような動きはいただけないと正直思っています。今後の医薬研究分野における米国と中国の動きに注目しています。