7月下旬にBio Asia Taiwanという展示会があり、参加しました。この展示会が始まる前日の24日は台風が台湾を直撃、25日にかけて通過したため、台湾発着のほとんどのフライトがキャンセルになりました。ですがなぜか私の乗った飛行機は24日のフライトだったにもかかわらず無事に台北に着陸でき、問題なく参加できることになりました。
現地ではインドから参加予定だった同僚と合流予定だったのですが、彼の方は経由地であるバンコクから先のフライトがすべてキャンセルになったということで、今回の参加は見送りとなりました。
もちろん、参加を見送ったのは私の同僚だけではなく、世界中から参加予定だったたくさんの参加者も同じだったことでしょう。翌日から開催される予定だった展示会と、パートナリングと呼ばれるビジネス面談は順延、またはバーチャルで実施ということになりました。にもかかわらず、展示会自体は大盛況でした。台湾で実施されるイベントには初めて参加したのですが、こんなにも人が集まるのかと驚いたぐらいです。
台北に到着した日は前日のイベントとしてバンケットがあり、私も参加しました。たまたま隣に座っていたのが、米国の製薬企業のCVCの投資担当者で、元々台湾出身のため今回は里帰りも兼ねての参加とのこと。現在はボストンに住んでいるとのことでしたが、大学院から米国に留学し、そのままポスドクを経て、米国で就職して現在に至るそうで、米国生活が長いようでした。30代後半か40代前半の彼の英語は米国東部の発音で、かつかなりの早口で、時々聞き返す場面が何度かありました。
台湾の製薬産業というと、かつての日本は台湾企業を下に見ていた時期がありました。その後台湾政府が医療系ベンチャーの育成のため、資金を注入し始めると、その資金を目当てに日本のベンチャーが台湾詣でをした時期もありました。その当時はまだ、日本企業にそれなりの優位性があり、投資する代わりに日本の技術を導入するという思惑があったような気がします。が、現在は立ち位置が微妙に変わった印象を受けました。
台湾でベンチャーのコンサルをしている台湾人や、前述のCVCの投資担当の彼の話を聞くにつけ、今の台湾のベンチャーは完全に米国を向いて仕事をしています。台湾は国が小さいので、国外に出ないと十分な市場がないというのも理由の一つと思いますが、CVCの彼のように、米国に根を下ろして活躍する人材が増えてきたことも理由でしょう。
2000年代の中国では、海亀と呼ばれる欧米帰りの研究者が、政府の優遇政策によって多数帰国しました。そして彼らは中国に医薬研究の受託企業を次々と設立し、欧米企業の研究や製造プロジェクトを受託することで医薬研究ノウハウを蓄積し、現在の多数の医薬ベンチャー設立、中国初創薬へという流れになりました。台湾では現在、欧米で経験を積んだ人材が母国台湾との間を行ったり来たりしています。これまでの低分子中心だったに受託製造(CDMO)ビジネス加え、新しいモダリティのCDMOビジネスが勃興しようとしています。
ただし中国にあって台湾にないものは研究CROかもしれません。これはやはり、高学歴な人財を抱えるとは言っても、しょせん国自体の人口が少ないので、設備や機器による優位性を獲得できるCDMOとは違い、人的資源に頼りがちな研究CROビジネスは難しいのでしょう。これはシンガポールや韓国にも言えるかもしれません。
ちなみにCDMOビジネスと言えば、日本政府も現在、ワクチンやバイオロジクスを製造するCDMOの設立を奨励し、予算をつけたりしています。ですが台湾と日本の違いはそれぞれがどこを向いて仕事をしようとしているかにあります。日本の場合、見ているのは日本の市場です。一方の台湾は世界を見ています。
なぜこうした違いがあるかというと、国内市場の大きさの違いもありますが、おそらく政策を考える政府関係者に外国で勉強や仕事(お客さん扱いで数年海外の大学のキャンパスにいたことがあるではなく)をしたことがある人がいるかいないかの差でしょう。台湾の場合、官僚も政治家も現在かなり高学歴化しています(ちなみに現在一般人も90%以上が大卒と言われています)。台湾は人口のわりに医薬分野では海外留学やビジネス経験者が多いです。政治家はまた、医師出身者も多く、博士号取得者もかなりの割合です。ちなみに台湾の歴代総統では李登輝総統は米国コーネル大学で農学博士、馬英九総統は米国ハーバード大学で法学博士、蔡英文総統は英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得しています。現在の頼清徳総統は元医師で、米国ハーバード大学公衆衛生の修士号取得とやはり海外経験ありです。
現在の医薬品開発は、日本も含めて国内市場だけを見ていてはとても採算が合いません。研究開発には巨額のお金がかかります。医薬品候補品を人間で試験をする臨床試験についても、世界の主要な市場で承認取得、販売できるように様々な国で実施する必要があります。
家電や車、半導体などももちろん、世界市場に食い込めるよう、開発やマーケティングに様々なノウハウがあると思いますし、巨額の資金を投入していると思いますが、人命がかかわる医薬品の規制は非常に厳しいものですから、より高度に専門性を持ったチームが必要になります。
また医薬品市場では、米国が一番大きな市場を握っていますから、自然と米国での上市をまずは念頭に医薬品研究をするのがデフォルトになっています。ですから医薬産業ではずいぶん前から英語がほぼ公用語になり、出身国にかかわらず皆英語を読み、書き、話すというのが普通になっていました。逆に医薬研究開発の専門知識があり、英語ができれば医薬品研究開発を行うどの国でも仕事ができるということで、元々人材の流動性が非常に高い分野でもあります。台湾や韓国は、10年以上前は日本と一緒であまり英語が得意ではない印象でしたが、現在の両国の印象は全く違いますし、グローバルで活躍する人も増えている印象です。
バンケットではまた、中国の再生医療のベンチャーで、米国にも子会社を持つ企業のCEOと隣り合わせました。やはり現在政治的には中国本土は微妙な立ち位置にあるため、中国でも米国でもオペレーションが可能なよう準備しているようでした。再生医療の製造拠点に関しては、日本の神戸に建設することを検討していると。理由はその規制当局の基準を満たす設備の建設や運用の費用が、米国の半分ほどだからだそうです。日本が一番安いというのは円安の影響もあってですが、出身国に限らず、専門家の目できちんと評価して、どの国で何をすべきか、小さなベンチャーでさえ、常に世界標準で物事を考えているところがやはり日本と違うと感じました。
台湾ではまた、イスラエルの某ベンチャーでビジネスディベロップメントを担当する女性とも話をしました。イスラエル人はコミュニケーション能力が高くて、すぐに誰とでも仲良くなれるような印象があるのですが、彼女もまたそんな一人でした。「台風の影響でホテルの周りのレストランが全部閉まっていて、どこにも食べに行けないわね~、残念!」と。「でも本当に平和でいいわ。ここに来る前は、ドリル(軍事訓練)がいつ始まるか、いつも気にしながら仕事していたから、別世界よ」と。
イスラエルには昨年、ハマスの攻撃が始まる1週間ほど前まで滞在しましたが、その時の印象はなんだかとてものんびりしたものでした。そこが戦場になっているということをなかなか想像することが難しいです。そんな戦時下にあっても、医薬ベンチャーとしての仕事は粛々と行われているというのが驚きでしたし、日本の平和のありがたさをひしひしと感じました。日本にはいろいろ問題はあるにせよ、まだまだ世界に誇れる良い点はいくつもあります。この平和を維持しつつ、未来に向けて良い方向に舵をきるために個人としても何か貢献できないかと思っています。