巷ではインフルエンザが大流行しています。私も12月半ばにあった某会議の席で隣に座っていた方が嫌な咳をするなあと思っていたら、どうやらその方から感染したらしく、未だに咳が止まりません。とは言え私の場合熱も鼻水も全く出ず、咳以外はなんの不調もないので、病院に行かず咳止めだけを飲もうとしました。ですが咳止め薬がその辺の薬局では全く見つかりません。
ちなみに私は一応薬剤師なので、咳止め薬の成分が何かはわかっています。できれば総合感冒薬ではなく、他の成分があまりはいっていない薬が欲しいのです。でも見つかりません。ニュースでも咳止めは品不足が深刻化しているとありますね。結論からいうと、この混乱は政府がきちんとした対策と取らない限りしばらく(4ー5年)続くと思います。その理由をこれから説明したいと思います。
重要な薬なのに薬価が低い風邪薬
このブログの中で日本の薬価制度について書いたものがいくつかありますが、日本で保険収載されている薬の薬価は、基本的に毎年切り下がると説明しています。薬価切り下げの制度があるのは日本だけではありませんが、日本の問題は原価無視で切り下げ続けていることだと思います。
まず新薬として市場に出た薬は毎年切り下げられ、ジェネリック医薬品の参入を経て、これ以上下げられないような価格にまでなります。これが画期的新薬のカテゴリー入るような薬だと、数年に一回新しい薬が登場し、古い薬と置き換えられるわけですが、咳止めのような薬は逆に新陳代謝がないため同じ薬が延々使い続けられます。
医薬を専門としない人たちから見ると、製薬企業というのは薬局でもらうアルミシートに入っている錠剤を作っている会社で、アルミシートの中身をすべて自前で作っていると思いがちですが、製薬企業の中には薬の成分をよそから購入し、製剤(原料と賦形剤を混ぜて固めて医薬品を製造する)と包装だけをやっている会社も多いのです。むしろ日本のジェネリック製薬企業は後者が多く、ジェネリック医薬品の成分(原薬)のほとんどを輸入していると考えても差し支えありません。
日本の原薬(薬の成分)製造においては、日本のGMP原薬製造における最低工数は2工程と先進国の中でも少なく(米国3工程、欧州が確か5工程くらい)、原薬を輸入して、加水分解、精製、あるいは再結晶のようなごく単純な工程を自社で実施するだけで自社製造としているような企業もあります。ジェネリック原薬の場合、難易度が高く、特殊な設備が必要な化学反応や、複雑な精製工程を日本で全く実施していないことが多いのです。これが新薬の製造となるとまた話は変わってくるのですが、ジェネリック原薬の場合は基本海外から原薬を輸入しており、それが薬価の安い医薬品であればあるほど海外依存率が高くなる傾向があります。
ジェネリック原薬の主役は中国、インド
私は以前、親会社がジェネリック原薬供給の大手というインド企業で仕事をしていました。私の担当は創薬研究や新薬の原薬製造だったのですが、まれに紹介されてジェネリック原薬の取引の仲介をしたりすることがありました。その際日本企業が、「ABCという原薬を2025年度、XYKg 、できればZ円/Kgで欲しい」ということを言うわけです。ジェネリック原薬のビジネスとう言うのは基本的に年一回、前年度の生産計画の際に予約を受け付けて、受注した量だけ製造するというのが基本的のようです。だからビジネスのスピードも普段新薬のビジネスを担当している私から見ると、まるでスローモーション(?)のように遅いのですが。。。まあ、これは余談で、とにかく基本的に年一回、交渉のウインドウが空き、その時に確保できなければ翌年にまた交渉となり、足りないから年度の途中で追加生産などということはないと認識しています。
日本企業が問題なく原薬を確保できていたのは、おそらくコロナ禍の前までと思います。コロナ禍からはいろんな条件が重なって原材料費が高騰しました。各地のロジスティックが寸断されて輸送費が高騰しましたし、人件費も軒並み上がりました。また医薬品の製造には触媒としてパラジウムなどの金属もよく使われますが、パラジウムの値段は信じられないほど高騰しています。パラジウムがメインの工程に入る医薬品ですと、原材料費のほとんどがパラジウム代などということもあるくらいです。とにかく医薬品原薬は製造ルートによっても、製造コストの振れが大きいのです。それが製剤製造との違いなのですが、日本では製剤製造がメインのジェネリック企業が多いせいか、原薬価格のことを政府も企業もあまり知らない印象があります。
先ほどの日本企業(商社)のジェネリック原薬買い付けの話に戻ると、「その値段では材料費も賄えません、その価格では全く希望に応えられません」と、インド企業がお断りをするところに何度か遭遇しました。まず円建てで前年とほぼ同じ価格、あるいはそれより安い価格で原薬を購入しようというところがそもそも無理な話ですし、コロナ禍の途中から円安が進み、ドル建てでは例え同じ価格だったとしても単純に1.5倍以上になっています。ドル建ての価格が原材料費の高騰で1.5倍になっていれば、円建てでは最低でも前年の2倍以上でないと購入できないということになります。ですが日本企業は「そこをなんとかなりませんか」というだけです。「なんともなりません、無理です」という答えが返ってきて、そのまま没交渉というのを何度か目撃しました。相手が日本の企業ならば、ごり押しして価格を維持させ、立場の弱い相手企業が人件費カットなどで対応するのでしょうが、相手が海外企業の場合はその手は使えません。現在中国やインドのジェネリック原薬供給企業と日本の企業の立場は逆転しつつあります。
その時安ければいいでは、安定供給ができない
一方中国では2年くらい前まで、過剰に生産した原薬や医薬原料在庫がだぶつき、それを積極的に安値で放出していた時期がありました。中国では作れば売れるという黄金期(?)が続いた時期があったため、勢いに任せて増産を続け、その後景気が冷えても無計画に製造し続けて山のような在庫を抱える企業というのが存在していました。そうした在庫に飛びつく日本企業はたくさんあり、インド企業は冷ややかに見ていました。ですがそうした在庫はなくなれば終わりで、原薬や原材料の安定供給は難しいのです。在庫がなくなってから、やっぱりインド企業から購入したいと、戻ってくるお客さんもあるのですが、原薬製造は製造に使う原料の確保から安定供給しなくてはならず、コロナの後はこの原料のもっと上流の原料の供給が一層難しくなっており、すぐには対応できないことが多いのです。しかも日本が希望する価格では難しいというのが実情です。日本企業の方も、不当に安い価格で原薬を調達できていた過去が忘れられず、その価格で下流の生産計画を立てているため、現実にあった原薬価格で生産計画の変更をすることが難しいという事情があるようです。
解決策はあるか?
日本でも巷のニュースで、「薬価の切り下げが薬不足に影響しているのでは?日本でも製造すべき」という話が出ていますが、製造ラインの立ち上げは少なくとも数年単位ですし、現在日本が輸入している原薬価格をもって(コロナ禍以前の価格の2倍以上としても)日本で製造することは不可能です。また単純な製造工程しか経験のない日本企業に、こうした原薬を最初の工程から原料調達も含めて自前でできるようになれというのも簡単ではありません。対応できるエンジニアもいません。価格が高い薬剤ならやってもよいという企業も現れるでしょうが、儲け度外視の最低価格で製造しなくてはいけないラインを急いで立ち上げろと言われても、手を挙げる企業はないでしょう。
また基本的に他の先進国でもいわゆる風邪薬として使われる医薬品原薬を自前で製造しているところはないです。それは全世界に向けて原薬を供給している中国やインドのジェネリック原薬の製造スケールが巨大であり、規模の経済を考慮すると日本市場向けだけに製造する原薬価格はとてもじゃないですが競争にならないからです。むしろこうした原薬を確保するためには、主要な生産国である中国やインドなどと供給確保に向け大臣レベルで協議すべき事項ではないかと思っています。
現在咳止め薬が一部のジェネリック製薬企業の不正問題などで品薄になっており、増産しているというニュースも流れていますが、増産しているのは製剤の部分であって買い負けによる原薬不足はこれからも続くでしょう。とにかく特定の医薬品に関しては薬価が安かろうと必須のアイテムですので、政策的に安定供給できる仕組みを別に作るべきでしょう。
実は2020年より「医薬品安定供給支援事業」を政府は実施し、一部の抗菌薬について国内回帰の支援もしましたが、そもそも医薬品原薬、特にジェネリック原薬に関しては、日本だけで何とかしようという考え自体が今はもう無理なステージにあります。また原薬の備蓄事業に支援金を出そうとしたりしていますが、原薬はシェルフライフのあるものですし、多くのジェネリック原薬で受注生産型の計画生産体制をとっているのがなぜなのか考えてみるべきでしょう。原薬の確保に関しては、政府間や供給国の業界団体を巻きこんだ積極的な介入が必須と思いますが、そこまで事態が深刻だという認識は政府にはまだないようです。
というわけでジェネリック医薬品供給にかかわる混乱はしばらく続くでしょう。