リスキリングは氷河期世代を救えるか?

現在氷河期世代の非正規社員割合の高さと低収入が問題になっており、日本の社会保障に負のインパクトを与えることが確実となっています。もっともずっと以前からこうなることはわかっていたはずですが、これまで政府は何も対策を講じてきませんでした。最近になり、氷河期世代を「リスキリング」で何とかできないかと言い出したわけですが、それが可能か私なりに考えてみたいと思います。私自身は社会人になってから、リスキリングでキャリアを変更してきた経緯があり、自身の経験も交えて考察してみたいと思います。

日本における大人の学び直し(リスキリング)には大学に入りなおして学びなおす方法や、専門学校や職業訓練校に通って資格を取ったり、新しい技能を身につけたりすることがあると思います。後者については、身につけた資格や技能が日本社会で求められている限り、リスキリングした当事者は就職することが可能でしょう。ただ世の中に必要とされている仕事ほど、なぜか給与面では冷遇されているという事実もあります。ですから、リスキリング後の給与がそれまでの給与以上になるかどうかは定かでありません。

不運にもこれまで短期の非正規労働を繰り返さざるを得ず、正社員となれなかった氷河期世代が求めるものが、お金なのか働き心地の良い職場環境なのか、それともあまり多くはない収入でもあくせくしない生き方なのかにもよりますが、手に職があれば今の日本、生活を維持することは可能です。

職業訓練の場合、本人の強い意志があれば、新しい技能を身につけることはいくつになっても可能です。ですがその結果、新しい職場に就職し、期待の年収が得られるかはまた別の話です。歯切れの悪い言い方ですが、職業訓練で新しい知識や技能を身につけても、ラッキーな転職ができない人も一定数います。これをリスクと考えるか、それともチャンスがあればやってみるべきと思うかは、当事者次第です。 政府としては、少なくともこれまでチャンスに恵まれなかった氷河期世代の背中を押すための経済的支援を検討することはできるでしょう。

一方の大学における学び直しについては、個人的な経験からも述べることにします。私は大学で理系の修士号を取った後、しばらく研究員として企業に勤め、その後米国に留学してMBAを取りました。その後さらにカナダの大学院で学んだのですが、家族の事情で中退して日本に帰国しました。帰国後はそれまで理系の研究職であったものを、事業開発やベンチャー投資など、どちらかというとビジネス寄りの仕事にシフトしました。以来、私はずっと事業開発にかかわる仕事をしています。ただし軸足を置いている分野については、大学時代から変わらず医薬研究です。

私の場合、海外に留学する資金は研究員として働いていた時に貯めたお金がすべてでした。ですがそれだけでは不十分だったので、米国では学生ビザで働ける仕事を制限一杯やり、カナダでは永住権を取得していましたのでほぼフルタイムで働いていました。どんな仕事をしていたとしても、社会人が仕事をしながら学位をとるのは簡単ではありません。20代前半で最初に大学の学部&大学院を修了した際、私の成績はほぼオールA、学部に至っては卒業に必要な単位の倍くらい履修していました。が、社会人になって入った大学院については、MBAに関しては海外ということもあるかもしれませんが、成績はギリギリ卒業できる程度、単位数も卒業に必要なギリギリの数という大変お粗末なものでした。

海外留学で一発逆転をと考える人がいてもいいと思いますが、現在は円安の影響もあり、非常に厳しいでしょう。1990年代、企業が社員を派遣して幹部候補生を海外に送りMBAを取得させることが流行りましたが、派遣された人たちが学位を取ってすぐに転職する現象が問題になり、2000年代以降、日本企業は海外留学スポンサーを辞めたところが多いと思います。ですので、社会人の海外留学は自費による選択しかありません。また日本人が海外の大学で奨学金を得るのは、優秀なごく一部の学生を除きほぼ不可能と考えてよいです。ヨーロッパの一部の国では大学授業料が無料なものの、地元民でも卒業できるのは入学者の半分以下ですし、さらに生活費は別に必要ですので、日本人にはかなりハードルが高いでしょう。

現在、米国をはじめとした先進国の大学・大学院の授業料は高騰し、ビジネススクールなら最低年間1千万円はないと難しい状況です。(課程修了まで2年間で2千万円です)氷河期世代がより良い仕事を求めて海外の大学院に留学する、あるいはリモートで日本にいながら海外大学の授業を受けるというオプションは、現代の日本では経済的にかなり難しくなったと感じます。

一方で日本の大学なら授業料も海外に比べればまだまだずっと格安ですが、MBAも含め文系の大学や大学院では、就職が有利になるかどうか微妙でしょう。リスキリングの学位がうまく活用できない理由は、日本の社会や企業が、まだまだ社会人のリスキリングを認めておらず、会社の経営層に社会人になってからも大学等で勉強を続けた人がほとんどいないからです。ただし現在の仕事に関連のある分野で、さらに上の学位を取るという選択は、海外とかかわる仕事であればアリだと考えます。

例えば私が今働いている医薬品の研究開発においては、学位は非常に重要です。それはこの業界自体がグローバルだからです。学歴の高い相手とやり取りするには、同等のスペックを要求されます。実は日本以外の国々は、日本と違い恐ろしく学歴社会であり、学位がないと仕事では徹底的に差別されます。日本でしか働いた経験がない人は、日本が最も学歴社会で海外は実力主義で学歴は不問だと勝手に考えている人が多いですが、全く逆です。例えば日本の官僚について海外では、「低学歴で専門性が欠けており、全くお話にならない」と言われています。国家の政策にかかわるような官僚は、途上国であっても今は博士&MBAはごくごく普通のスペックです。今時公務員試験に合格しただけでは、海外では相手にしてもらえません。

また最近では台湾のTSMCが熊本に工場を建設するにあたり、日本で開発を担当する技術者を募集しました。募集要件は博士以上です。どんな優秀な熟練技術者であっても、博士以下は考慮なしです。そして「日本にはどうしてこんなにもいい人材(博士)がいないんだ!」と嘆いているというニュースがありました。そこがグローバルと日本と考え方の違いです。ですから今後グローバルで活躍したい研究者や技術者には博士は必須というわけです。

ちなみに私は52歳で博士号を取りました。海外出張も含め、日々の仕事を普通にこなしながら、講義のある時は東京から岐阜まで週に何度も通いました。海外留学していた時ほどではありませんが、ものすごく大変でした。ですが学位を取ったあと、仕事上のメリットは大いにあったと思います。

その他、大学でのリスキリングでも例えば、医師、弁護士、薬剤師、看護師、介護師といった国家資格にかかわる学部については、勉強は大変なものの、このようなリスキリングはありだと思います。資格や能力をもってしても、採用に関しては年齢が高ければ「経験」が問われることが多く、就職活動はなかなかに大変です。ですが不可能ではありません。

社会人のリスキリングにおける問題点

一番の問題は日本の大企業の雇用制度でしょう。日本の大企業の雇用制度は年功序列&メンバーシップ制のため、新卒採用で入社できなければ昇給や退職金など中途採用者が圧倒的に不利になるシステムです。メンバーシップ制度を採用している企業は、社内で人材を循環させることを優先しますので、中途採用の募集もポテンシャル採用(?)、あるいは将来XXになってもらいたいという漠然としたものが多いように感じます。採用側も求職者に何を求めていいのかよくわからないのでしょう。この場合、人事は求職者の特定の技能や能力ではなく、過去にどんな会社に勤めていたかを参考にすることが多いでしょう。その場合リスキリングで採用される確率は低いでしょう。

一方で日本でも中小企業や外資系企業など、どちらかと言えばジョブ型の採用をしている企業もあります。ジョブ型の制度を持つ企業に関しては、ポジションが空いていれば応募は可能です。ですが間違いなくポジションにかかわる経験を求められます。これは欧米でも問題になるのですが、企業は経験を求めてくるが経験を積ませてもらえるところがない。どうやって経験を積めと言うのだと。そこで海外ではほぼ無給のインターンシップなどで、少しでも関心のある仕事の経験を積むことが必須になっています。日本ではこのインターンシップ制度を、企業側が優秀な学生の囲い込みに活用しているようですが、海外の実態は少し違います。

リスキリングを終えた当事者が、リスキリングを終えて直ぐに安定した仕事に就けるかというと、おそらく経験を積むという作業をどこかでする必要が出てくると思います。またジョブ型の雇用形態は、空いたポジションに合うスペックの人が現れればすぐに採用となりますが、ピッタリはまる仕事を見つけるまで時間がかかります。

ちなみに私が米国から帰国して事業開発の仕事に就くまで、およそ半年くらい薬剤師として働きながら就職活動しました。当時はちょうど氷河期真っ最中でしたので、転職市場も厳しく、120社くらいは履歴書を送り、5社くらい面接しました。当時はすでにインターネットによる応募が普通になっていましたので、応募自体は大変ではありませんでしたが、やはり就職活動が長引くと心が折れそうになります。

ですからリスキリングの期間だけでなく、その後就職するまでのサポートも何らかの形で支援が必要になるでしょう。リスキリングで転職を検討している人も、長期的視野を持って活動しないと難しいでしょう。リスキリング&転職活動の期間が長くなるとしたら、その期間、完全無職は経済的には厳しいので、仕事をしながらリスキリングに臨むことになり、気力、体力がある人でなければ正直厳しいのかなと思います。

ですが人生80年の時代です。氷河期世代は結婚や子供をあきらめた人も多い世代ですが、家族がいない分逆に身軽なのですから、人生の後半は興味のあること、したいと思っていた仕事をしてみるというのもよいのではないかと思います。

最後に・・・、氷河期世代はバブル崩壊という社会イベントが引き金になり、特定の世代が不利益を受けました。ですが日本においては、バブルの頃でさえ女性は氷河期世代よりさらにひどい扱いでした。同じ正社員で同じ仕事でも、1997年に雇用機会均等法が改正されて罰則が導入されるまで男女で給与や昇給に差をつける企業は普通にありました。女性は今でも、出産や育児で仕事のブランクがあると、ほぼ非正規でしか社会復帰できません。これは氷河期世代が、最初の就職先で非正規であった場合、その後正社員に登用される機会が著しく減少したのと同じ現象です。こうした社会の仕組みや雇用の仕組みを変えることが重要です。氷河期世代の問題は、これまで女性が抱えてきた問題を一部の男性が体験することで、いかに日本の女性がひどい目に合ってきたかを可視化し、ようやく社会に知らしめたとも言えます。つまり氷河期世代の問題は日本の女性の問題でもあります。ですから氷河期世代は日本の女性の問題も自分の問題ととらえて、女性と一緒に解決に向けて活動すべきと思っています。