3月10日から3月16日まで米国に滞在していました。
主な目的は3月10日からニューヨークの国連本部で開催されていたCSW69という会議に、私が所属する国際婦人連絡会からオブザーバーとして参加すること、ボストンにいる友人と再会することでした。
私はボストンにあるビジネススクールを2000年に卒業し、当時の友人がボストンをはじめとした米国都市に散らばっています。今回ボストンで会った友人とは2年前にイスラエルやヨルダンを旅行しました。そして今回はニューヨークにも滞在することになったので、ニューヨークに住むボストン時代の友人の1人に連絡し、10年ぶりくらいで再会しました。
そのニューヨークに住む友人というのは男性で、ボストン時代language exchangeで知り合いました。language exchange というのはお互いの言葉を教え合うということで、私は日本語を教え、彼からは中国語を教えてもらっていました。ちなみにlanguage exchangeの相手は他にも数名おり、私の場合家から遠くないMITの学生が多かったです。ボストンという街は大学都市で、世界各国から学生が集まります。そのため特殊な言語でも勉強しようと思えばすぐに先生が見つかります。日本だと知らない人にアプローチするのは抵抗がある人も多いかもしれませんが、ボストンだと普通にできてしまうのが良いところだと思っています。
その彼は私がビジネススクールに入学した1998年にMITのコンピューターサイエンスの修士課程をトップで卒業しました。そして今はビジネスで欠かせないツールになっているウェブ会議システムを開発する会社に勤め始めたところでした。初任給は確か6万5千ドルだったと記憶しています。「MITの卒業生としてはちょっと少ないのかな?」という印象でしたが、当時のエンジニアのキャリアとして良い滑り出しだったのではないでしょうか。
彼は身の回りのことや贅沢には全く関心のない人で、企業に勤めだしてからも学生時代から住んでいる安いシェアハウスに住んでおり、自身でも全くお金の使い道がないと言っていました。学生時代はTA(Teaching Assistant)で得られるお金と奨学金で生活していたそうですが、それが年に1万ドルを少し超えるくらいと話していた記憶があります。それも半分以上は使わずに貯めていたと。また彼が中国から米国に留学した際は200ドルしか持っていなかったとも話していました。
その彼の人となりはというと、かなりオタクで、酒井法子さんの大ファンでした。日本に帰国するたびに酒井法子グッズのお土産を頼まれたものです。見た目は小柄だけどがっしりしていて、ハンサムではないけど落ち着いた雰囲気があり、年齢より落ち着いて見えました。ペラペラ自分から喋る方ではないけど、他人の話をよく聞いていて、時々鋭いコメントをするタイプでした。ちなみに私とは同い年です。彼は中国の佳木斯という北方のロシアに近い都市の出身で、ロシア語も堪能、当時はロシア人のガールフレンドもいました。
彼が天才なんだと思ったきっかけは幾つかありました。1番最初は私が白居易の琵琶行という長歌が好きだと言った際に、「ああ、あれね、自分も好きだ」と言ってスラスラと暗唱してみせたことです。琵琶行は90行以上、600文字を超える長歌で、好きでもパッと暗唱することはなかなかに難しいと思います。彼はまるでコンピューターのように、さまざまなデータを正確に脳内に記憶している人でした。
私がボストンを離れてカナダで暮らし始めた時、彼から電話がありました。「ウェブ会議の会社を辞めてボストンにある、ノースイースタン大学の修士課程に入ってまた勉強するか、投資銀行のシステム開発の仕事のオファーを受けるか迷っている。アドバイスをくれないか」というものでした。ノースイースタン大学には彼が専門としている音響学で有名な先生がいるとかで、是非そこで勉強したいと。一方、投資銀行のオファーは15万ドルでした。採用面接にあたり、専門に関わる試験を受けたそうですが、彼は満点だったそうです。その結果が信じられない会社から、その後2度も同じような試験を受験するように言われたと文句を言っていましたが、見た目とのギャップに驚く人は多かったと思います。(見た目はいかにもおとなしそうなアジア人のおじさんなので)
ロシア人の彼女は当時医学部の学生だったと聞いていますが、また学生をやり直したいという彼に呆れて別れることになったと。MITのコンピューターサインスは米国ではこの分野でほぼトップの大学です。一方のノースイースタン大学は確か元々夜学から始まった大学で、MITほど有名ではありません。彼曰くフルスカラーシップが出るのだとか。ですがせっかくトップの大学の学位を優秀な成績で卒業したのに、また学生をやり直すなんて・・・。彼のガールフレンドの気持ちもわからなくはありませんでした。でも私は彼の人生なのだから自分がやりたいことをすれば良いとアドバイスしました。彼は満足して一方的に電話を切りました。まあ、そういう人なので全く驚きはしなかったのですが。
最後に会ったのはその15年後のニューヨークでした。商社時代の上司が、製薬企業に転職してニューヨークに駐在していました。商社時代に同僚だった友人と一緒にニューヨークに遊びに行ったのです。その時彼はコロンビア大学のコンピューターサイエンス学部の博士課程にいました。彼は学業の傍らコロンビア大学の図書館システムの管理をほぼ1人でやっているとかで、(おそらくそれが生活の糧になっていた)「色々手を入れた方が良いところがあるから、ぼちぼち開発している。図書館のシステム開発は簡単だよ」と言っていました。博士課程の同僚という学生さんともたまたまあって話をしましたが、「とにかく彼の頭の中は一体どうなっているんだというくらい優秀。こんなやつこれまで会ったことがない。驚きだよ」と。天下のコロンビア大学の博士課程の学生が驚くくらいですから、きっとすごいのでしょう。
博士を取った後はどうするのかと聞いたところ、「アカデミアのポジションが得られれば良いけど、そうでなければ企業に勤めるのもアリかな」と。あるいはカナダに行って永住権を取ろうかなとも。
そして今回、久しぶりに会った彼はというと、片眼割れて粉々になったレンズをセロハンテープで補修した眼鏡をかけ、これまた粉々になったガラスをテープで補修したスマホを持ち、片道1時間半かけて私が滞在するホテルまで来てくれました。コロナ禍に亡くなった志村けんさんがコントで演じていたマッドサイエンティストを髣髴とするいでたちでした。
その後彼が夕食をご馳走してくれるというので、あまり高くなさそうなフードコートにあるタイ料理の店に行き、しばらくぶりに彼と話をしました。話によると現在彼は特に仕事はしておらず、数学の研究をしているとのこと。たまに数学の家庭教師の仕事をしているけど、基本的には仕事はしていないと。どこかのグループに所属するわけでも、論文に投稿するわけでもなく、一人研究をしていると。その傍ら絵をかいたり、マラソンに挑戦したりと、彼なりにニューヨーク生活を楽しんでいると。私が持参したクッキーのお土産の外箱がきれいだと感動していました。そして彼曰く、「もう21年もニューヨークに住んでいるんだ」と。
彼に米国の市民権は取ったのかと聞いたところ、実は現在カナダ国籍で、そのために一時期カナダのトロントに4年住んでいたと。でもニューヨークに戻ってきたのだと。ニューヨークは物価も高いし、仕事がないと住みにくいのでは?と聞くと、「確かに、物価の他にも住みにくいと感じることが多くなってきたので、両親も年老いてきたし、そろそろ面倒を見るために帰国しようかと考えている」と。
彼がすごいのは、心身ともに健康で、おそらく病院にも行ったことがないのではという点です。医療保険に加入しているのか聞きたかったのですが、聞けませんでした。この後会ったボストンに住む友人は、バイクで転倒して顔を打って目の周りがあざだらけになり、救急で運ばれてCT他様々な検査や治療を受けたところ、9,000ドルの請求が来たと。彼女は大企業に勤め、かなり良い保険に加入しているのでほぼ全額償還されたと言っていましたが、ほんの少しの診療でさえ、現在の米国は高額な請求額になるのです。米国の破産の原因のトップは医療費の支払いが原因です。ホテルまで自転車で1時間半かけてやってきた体力もすごいですが(帰りも当然1時間半!)、一人で何年も他人とほぼかかわることなく外国で生活し続けられるメンタルもまたすごいです。
米国に留学していた際、私は中国をはじめとした途上国から米国に留学しているという留学生にたくさん会いました。いずれも優秀な人たちばかりで、米国の大学が提供するかなり競争率の高い奨学金を苦も無く獲得ししていました(逆に日本人でそうした奨学金で学んでいるという人には会ったことがありませんでした)。ただ、卒業後の就職にはとても苦労していました。米国の場合、当時米国の大学を卒業して1年間はビザの延長ができたのですが、その間に就職先が見つからなければ国外退去となり、途上国出身者の場合、再び米国に来るのは難しいのです。それで仕方なく、別の大学を受験して奨学金を獲得し、結果的に学位をいくつも持っている人がたくさんいました。学生のプロと言うべきでしょうか。ただそういう学生のプロは就職には非常に苦労していました。学位が増えれば増えるほど企業には敬遠されるのです。
私の友人も、学業における成績は抜群だけれども、なんというか企業でうまく立ち回るというのは難しいのかもしれません。彼にとっては企業のシステム開発なんかは朝飯前だけれども、それより一人で数学の問題を考えている方がずっと幸せなのかもしれない。
一方で、彼が現れた際の服装や所持品を見て、明らかにお金に困っているのでは?と思えるような節もあり(それで結局ご馳走してもらったのですが)なんとも言えない気分になりました。60歳近い大人の男性に、「仕事を見つけた方がいいのでは?」というのも大きなお世話だし、彼が現在の生活を肯定しているのであれば私は何も言うことはありません。翌日お礼メールに、「眼鏡と携帯のガラスは目に悪いから直した方がいいよ」と書くと、「メガネは修理する、携帯は新しいのを買う予定」とありました。どこかに引っ越すときは連絡してねと書いたのですが、それに対する返事はありませんでした。
世の中に優秀な人材はごまんといるのだけれど、彼らの才能をうまく生かせないことは多いと感じます。企業は優秀な人材が欲しいと言うけれど、実は使いやすい人材を求めていることが多く、突出している人材は敬遠されがちです。何とかそうした人材を社会のためにうまく使えないかと思うのだけど、個人の幸せを尊重すべきなのでしょうか。彼は今幸せなんだろうか。難しいなあと、もやもやした気持ちが続いています。
アイキャッチの写真:
写真はホテルのすぐそばにあったPanda Expressという中華料理のファストフードのチェーン店の求人広告です。日本で言うと吉野家とか餃子の王将みたいな感じです。ホールスタッフでもかなりの時給ですね。この時給では外食が高くつくのも納得です。