個性を伸ばす教育

今日は「個性を伸ばす教育」について、私自身の経験も交えながらお話ししたいと思います。

私はこれまで、医薬品の研究開発や国際ビジネスに携わってきましたが、政策の中でも力を入れたいと考えているのが教育です。日本がこれからも豊かで活力ある社会を築いていくためには、経済や産業をけん引する人材の育成が不可欠です。そしてそのためには、平均的な教育ではなく、一人ひとりの個性を伸ばす教育が必要だと強く感じています。

日本の教育の現状と課題

日本の教育は、長らく「均質な人材の育成」に重きを置いてきました。その結果、学力の平均値は世界でも高水準ですが、突出した才能を育てる環境は十分とは言えません。

しかし近年、自分の「好き」を早くから見つけ、それを伸ばす環境に恵まれた若者が、世界で活躍する例が増えています。たとえば、バイオリニストのHIMARIさん。10歳で米国の名門カーティス音楽院に合格し、今年3月からはベルリン・フィルのソリストとして活躍しています。まだ14歳です。

つまり、日本人に才能がないのではなく、それを育てる環境が不足していたのです。才能ある若者が世界で活躍しているのは、適切な環境に恵まれたからにほかなりません。

私自身の教育体験

私が通っていた夕張市の小学校では、科目ごとに専門の先生が教えるユニークなシステムが採用されていました。教科書はほとんど使わず、先生が用意した教材や実験、フィールドワークが中心。公開授業には他校の先生が見学に来るほどでした。

高校も自由な学風で知られる学校で、担任の先生は地理の専門家。新設された「現代社会」の授業では、先生が訪れた国々の写真を使って、現地の政治や経済、食文化まで語ってくれました。授業の最後に、「教科書のXXページからXXページを読んでおいてください。皆さん優秀だから一度読めばわかるでしょう」と言われたのを今でも覚えています。

理科の授業では実験が多く、限られた時間の中で最大限の学びを得る工夫がされていました。札幌南高校では理系に進む生徒が多かったのも、こうした教育の影響だと思います。

当時は、公立校でも教材の使い方や授業の組み立て方には、学校や教師にある程度の裁量がありました。私の通っていた小学校は1クラス十数人で2クラスでしたが、教育大学に進学した同級生も何人かいました。楽しい授業が、次世代に教育の魅力を伝えたいという思いにつながったのかもしれません。

教える立場から見た教育の現実

私は高校の教員免許を持ち、母校で教育実習も経験しました。教える側から見ると、教科書通りに授業を進めるのが一番楽です。そして時間が余ればワークブックをやってもらうのです。

でも、実験やオリジナル教材を使う授業は、準備も安全管理も大変です。レポートの採点にも時間がかかります。私の高校時代の担任の先生は、卒業後に「まともな授業をしていない」と一部の保護者からクレームが入り、スライド上映をやめたと聞きました。実際には、教科書を読むだけの授業よりも、はるかに準備が必要だったはずです。

興味が学びを引き出す

生徒が興味を持てば、教科書を読めば理解できます。理解できないのは能力の問題ではなく、やる気の問題です。好きなことなら、言われなくても自分から学びます。

だからこそ、教科書にないことを授業に取り入れることが、生徒の隠れた興味を引き出す鍵になるのです。しかし、ワークブックを繰り返すことが「勉強」だと信じて育った子どもや親は、それ以外の学び方を知らず、疑問を持ちません。

でも本来、授業は教室の中だけで完結するものではありません。インターネットが発達した今、学びのスタイルはもっと多様であるべきです。

教育制度の改革提案

私は、通信制・単位制・飛び級制度などをもっと進めるべきだと考えています。

日本にも「ギフテッド」と呼ばれる才能ある子どもたちがたくさんいます。欧米ではギフテッド向けのクラスや飛び級・落第制度が整備されています。日本のギフテッドが海外に流出しないよう、国内にも彼らの能力を伸ばす教育施設が必要です。それは学問だけでなく、スポーツや芸術も含まれます。

子どもの発育には個人差があります。ギフテッドとして育った子が途中で普通の学校に戻ることもあっていいと思います。教育はもっと柔軟であるべきです。

私自身、50歳を過ぎて博士号を取得しました。学歴主義ではなく、必要だから学んだだけです。勉強はいつでもできます。学びたいと思った時が、学ぶべき時です。

大学改革の必要性

日本の大学は「入るのが難しく、出るのが簡単」と言われています。欧米では卒業が非常に厳しく、ヨーロッパでは大学の授業料が無料でも卒業は容易ではありません。

私は、全国統一の卒業資格試験の導入を提案したいと考えています。これにより、地方大学でも優秀な学生を育てることができ、大学名ではなく成績で評価される社会になります。この制度があれば、地元の大学に残る若者も増えるでしょう。入試に失敗して希望校に入れなかったとしても、大学在学期間中に挽回できます。

私立の医学部や薬学部などは、卒業試験に合格しないと卒業できないシステムの学校がたくさんあります。これは国家試験の合格者を減らさないためでもあるのですが、一般の大学に導入できない制度ではありません。一発勝負ではなく卒業までに何度か受けられる制度にすればよいと思います。

そうすれば就職活動も「大学フィルター」ではなく「成績フィルター」で全国から人材を集めることが可能になります。卒業試験の合格率が低い大学は自然淘汰され、大学の質も向上します。

現在、日本の高校生の学力は世界トップクラスですが、大学で海外勢に追い抜かれてしまいます。大学改革こそが、今後の産業振興の鍵だと考えています。

現在、外国人留学生への返還不要の奨学金制度も議論されていますが、そもそも日本の大学が「(外国人にとって)入りやすく、出やすく、就職も面倒を見てくれる」と評判になっていることが背景にあります。

大学は義務教育ではありません。学びの場としての質を高め、年齢に関係なく優秀な人材が切磋琢磨する環境を整えることが重要です。外国人も例外ではないと私は思っています。学問やテクノロジーに国籍はありません。常に真剣勝負です。

最後に

いわゆる「ジェネラリスト」になるために大学に進学していた人たちは、今後AIに仕事を奪われる可能性があります。だからこそ、AIにはない創造性を磨く教育が必要です。そのためには、子どもたちが自分の「好き」を見つけ、それを伸ばせる社会を、皆さんと一緒に築いていきたいと思います。