トランプ政権と製薬企業の薬価交渉 ー「最恵国価格」政策のゆくえ

2025年、トランプ大統領が打ち出した「Most Favored Nation(MFN:最恵国待遇)薬価政策」は、製薬業界に大きな衝撃を与えました。本ブログでは、政策の背景や各プレイヤーの対応、そして今後の注目点について解説します。

MFN(最恵国)薬価政策とは?

2025年5月、トランプ政権は「処方薬の最恵国価格政策(MFN Pricing for Prescription Drugs)」を発表しました。この政策の核心は、アメリカがOECD諸国の中で最も低い薬価、またはそれ以下で医薬品を購入するというものです。背景には、「なぜアメリカの患者だけが高い薬価を支払っているのか?」という問題意識があります。

製薬企業に対しては、「価格を引き下げなければ最大100%の関税を課す」と強い圧力がかけられました。「最恵国待遇(MFN)」はもともと貿易用語で、特定国に対して最も有利な関税率を適用する制度です。これを医薬品価格に応用したのが、今回の政策のユニークな点であると考えます。

ジェネリックと新薬の扱いの違い

アメリカでは、薬価は基本的に自由市場で決まります。
新薬は特許期間中に高価格で販売され、特許切れ後にジェネリックが登場すると価格が大幅に下がります。一方、日本のように薬価が公定価格で決まる国では、こうした急激な価格変動は起きにくい構造です。

ジェネリック製薬企業は研究開発費が不要な分、安価に供給できますが、新薬メーカーは特許期間中に研究開発費を回収する必要があるため、一定の薬価が求められます。

アメリカの保険制度は大きく3つに分かれます:

  • メディケア:高齢者向けの公的保険。基本的にジェネリック中心。
  • メディケイド:低所得者向けの公的保険。新薬も一部カバー。
  • 民間保険:企業や個人が加入。プランに同じ保険会社が提供する保険でもカバー範囲が異なる。

今回の交渉で焦点となっているのは、メディケイドにおける新薬価格です。
メディケイドでは処方の84.7%がジェネリック医薬品ですが、支出ベースでは15.9%を占めています。つまり、少ない量の新薬が、全体の支出の大部分を占めています。(2023年の数字、資料は下記に)

The Medicaid Drug Rebate Program and Considerations for Generic Markets by Avalere Health 2025

ただし、メディケイド 全体の薬剤費はアメリカ全体の薬剤費の約10%程度です。製薬企業にとっては、やはり民間保険市場での新薬価格のほうが重要であるため、「10%を譲って関税ゼロにでき、トランプ氏の“成果アピール”にも付き合えるならOK」という考えがあるかもしれません。

民間保険とPBMの役割

民間保険では、PBM(Pharmacy Benefit Managers:薬剤給付管理会社)が製薬企業と薬価交渉を行います。
PBMは複数の保険会社や雇用主の薬剤給付を一括管理し、以下のような交渉材料を使います:

  • リベート(割戻し)
  • フォーミュラリー(推奨薬リスト)

トランプ政権はPBMの透明性にも言及しており、今後この構造にメスが入る可能性もあります。ただし現時点では、政策の主なターゲットはメディケイドであり、PBMへの影響は限定的です。

製薬企業の対応:PfizerとAstraZenecaの例

製薬企業はこの政策にどう対応しているのでしょうか?

  • Pfizerは、MFN価格でMedicaid向けに薬を提供することで合意。
    さらに「TrumpRx.gov」というDTC(Direct-to-Consumer:患者直販)サイトを立ち上げ、一部の医薬品を最大85%割引で提供する方針を打ち出しました。
  • AstraZenecaも同様に合意し、アメリカ市場での価格を他国と同等に設定。
    また、Pfizerは米国内に70億ドル規模の製造拠点を新設することを発表。
    これは関税回避の交渉材料と見られ、他のグローバル製薬企業にも「国内回帰」の動きが広がりつつあります。

薬価と患者負担のギャップ

ここで重要なのが、「薬価」と「実際の患者負担」は必ずしも一致しないという点です。
薬価はあくまでメーカー希望価格であり、そこにPBM手数料、卸マージン、薬局のサービス料などが加算されます。そのため、薬価を下げても患者の実負担が減るとは限りません。TrumpRxのようなDTC(患者直販)モデルは、このギャップを埋める試みとも言えますが、処方箋の管理や配送、流通コストなど、実現には多くの課題が残されています。

今後の注目ポイント

今後の焦点は以下の通りです:

  • 最恵国(MFN)政策が民間保険に拡大されるかどうか
  • ジェネリック市場への価格圧力と供給安定性への影響
  • 製薬企業のDTC(患者直販)戦略の浸透度とその持続可能性
  • 米国内製造へのシフトと、それに伴うコスト・人材の課題

また、各国との関税交渉にも注目です。
日本とEUは最恵国待遇で関税15%に抑えられていますが、英国や韓国は現在も交渉中。医薬原料、中間体、原薬製造拠点として最も重要な中国は高関税対象、インドはジェネリック原薬が関税除外対象ですが、新薬関連に関しては現在も交渉中となっています。

おわりに

トランプ政権の薬価政策は、関税と価格交渉を組み合わせた「圧力型」とも言えます。
ジェネリック医薬品と新薬の違いや、アメリカの保険制度の構造を理解することが、この政策の本質を見抜く鍵といえます。
トランプ大統領の派手なパフォーマンスに惑わされがちですが、「薬価を下げる」ということを医療制度全体で評価する必要があります。実際、薬価だけでなく、医療制度、貿易政策、企業戦略、そして患者の生活にまで関わる複雑な問題です。そして製薬企業の持続可能性と、患者のアクセスをどう両立させるか、このバランスをどう取るかが、今後の大きな課題となるでしょう。