薬価政策が医薬産業に与える影響

私は長らく医薬研究の仕事に従事してきましたがライフワークとして医療経済学を研究しています。中でも薬価政策は私の主要な研究テーマの一つです。このテーマを語るとき、どうしても話が難しくなってしまうのですが、今日はできるだけわかりやすくお話したいと思います。

まず病院で処方せんをもらって薬局で処方してもらうような医薬品は医療用医薬品(処方薬)と呼ばれており、国が薬の価格(薬価)を決定しています。日本では薬の有効性や安全性を審査し、承認するところは厚生労働省の傘下にある、医薬品医療機器総合機構(略してPMDA)、薬の価格は厚生労働省の医政局経済課というところが決めています。(ただし今年の夏から組織変更がある模様)

処方箋薬はジェネリック医薬品なども含めると、およそ1万5千種類くらいと言われており、その一つ一つに適正な価格をつけるというのは、かなり大変な作業です。ですが日本では、薬価はかなり簡便な方法(計算式に入れるだけ、または海外も含めた類似薬の価格参照)という方法のため、新薬でも承認からわずかほぼ1カ月で薬価が決められます。

日本では薬価を国が決めていますが、英国、カナダ、オーストラリア、他ヨーロッパの国々でも薬価が国で統制されています。自由に薬価が決められる国としては、米国があります。米国には薬の有効性や安全性を審査する機関として、日本のPMDAに当たる、食品医薬品局(FDA)がありますが、日本のように薬価を決める機関はありません。つまり薬の価格も自由経済で決められるのです。とは言え、薬の世界もグローバル化していますから、ある国で承認、販売されている薬が、他の国で何倍、何十倍の価格で販売されているということは、新薬であれば現在はあまり起こりません。

製薬企業が世の中に初めて薬を市場に出すとき、多くの場合、「特許」でその製造、販売の権利を守っています。特許の期間は通常20年ですが、研究開発に時間をかけすぎると、市場に出たときに特許の残存期間が少なくなります。そして独占的に製造販売し、利益を確保し、研究開発コストを回収することが難しくなります。新薬の場合は、できるだけ特許の残存期間が長くなるように、研究開発の期間を短縮することが重要です。ですから製薬企業の研究開発は常に時間との戦いになるわけです。

もちろん、開発後の承認プロセスや、その後の上市プロセスについても、のんびりはしていられません。かつて日本は、承認申請から承認まで海外に比べて時間がかかりすぎると批判されていました。ですが現在はその遅れはなくなっています。むしろ、現在問題なのは、薬価の対応なのではないかと考えています。

日本では承認を受けた薬はほぼ1カ月程度で薬価が決まり、保険収載されます。そして販売後、売上が予想以上に大きくなった薬、あるいは年間の売上が一定の金額を超えたものについては、価格が一方的に切り下げられる制度が近年導入されました。そして様々な医薬品がその対象となってきました。その制度とは「市場拡大再算定」及び「特例拡大再算定」と呼ばれているものです。

政府は年々膨れ上がる薬剤費を何とか削ろうとしています。20年くらい前から、政府はジェネリック医薬品の使用を促し、薬剤費を削減してきました。ですがそれも限界があります。数量ベースでは、ジェネリック医薬品はすでに80%を超えるほどまでになっていますが、そもそもジェネリックがある薬剤は古い薬剤が多く、価格も最近上市された薬に比べてはるかに安いです。ですから新しく市場に出る高価な薬をターゲットにした方が、薬剤費の削減効果は高いわけです。そこで特に売上規模の大きな新薬を、いわば狙いうちするようになりました。

毎年の薬価切り下げでは数%の切り下げですが、この「市場拡大再算定」「特例拡大再算定」では、15%から、製品によっては50%以上切り下げられた製品もありました。しかも効果の類似する他社の薬剤も同時に切り下げるという、製薬企業にとってはかなり酷い制度です。一般のビジネスでこんな仕打ちをされたら、普通はビジネスが成り立たないと思います。

増え続ける薬剤費を削減したいというのはわかりますが、薬価は世界で現在ほぼ横並びですし、日本だけ極端に切り下げるようなことがあると、外資系製薬企業の場合、日本だけ供給しないということにもなりかねません。つまりこの制度を続けていると、日本市場から撤退する製薬企業も出てくるのではと思います。

現在の日本市場では、外資系製薬企業のシェアは年々大きくなっています。日本の上位10社の売上シェアでは、外資7に対し内資3という状態です。日本の製薬企業から、売上の大きな薬は益々出にくくなっているわけです。日本の創薬環境の改善、薬価制度の改善に着手しないと、そのうち日本では海外で使えている薬も日本では使えないという状況が出てくるのではと考えています。

最後に、本日、安倍元首相が演説中に狙撃され、お亡くなりになったとのこと。思えば過去20年ほど、海外に行くたび、「今の日本の首相は誰?」というのがあいさつになるくらい、日本では目まぐるしく首相が交代していました。安倍元首相の政権は長期政権であり、政治的に安定していたと思いますし、この功績は大きいと感じております。心からご冥福をお祈りします。