大学10兆円ファンド 投資先の決め方について その1

この件、個人的に考えることがたくさんあるのですが、ファンドの運営や財源などについては、専門から外れるため今回はファンドのお金の投資先の選定について研究者の端くれの立場から述べたいと思います。

報道ではこの10兆円ファンド、運用益を大学の研究費や研究者の助成に使うという話になっています。その際、広くばらまくのではなく、優秀と思われる大学をいくつか選んでその大学に集中的に投下する方針に決まりつつあるようです。

特定の大学に集中的に投下する場合、資金を分配する側が、どの大学が優秀か見極めることが必要です。この点については、「トップ10%論文が直近5年で約1000本以上」などと漏れ聞いております。ですがこれですと、結局研究者の人数が圧倒的に多い東大が有利になります。そこで「研究者1人当たり」の指標も盛り込むことを検討しているそうですが。。。

私はむしろ特定の大学に集中的に投下するのではなく、優秀な研究者個人にランキングをつけて上から順番にお金を配っては?と思っています。それができないなら逆に、広く平等にばらまく。今のご時世、評価の基準さえ決まれば、業績を数値化して1から10000番(?)まで研究者を分野ごとに並べるなんてあっという間にできてしまいます。データ解析も難しくありません。毎年の業績に基づいて、例えば分野ごと10番までは2000万円、100番までは1000万円と自動的にばらまいてはどうでしょう?ランキングは公表すれば透明性も高いです。

問題はお金を大学にまくか、研究者という個人にまくかです。いい研究者がファンドの選んだトップの大学に在籍しているとは限りませんし、逆にトップの大学にもフリーライダーのような研究者はたくさんいます。助成したいのは大学ではなく研究者と思いますので、教授も准教授も助教も講師もポスドクも男性も女性もその他の方も関係なく、過去3年なら3年の実績に基づいて配る。大学も国公立の研究機関も、国からの助成金というと、なぜか事務方の経費にかなりの部分を消費されてしまうことが多いので、できるだけ事務方にお金を使われないよう、研究費として生かせるように配って欲しいものです。

なぜこんなことを言うかというと、個人的に過去20年、日本の研究者のレベルが落ちたのは、私は特に理系の研究においては、東大の責任が大きいと考えています。東大の元教職員、学生だった人を何人も知っているのですが、文科省が大学院の重点化を始めたころから、東大はとにかく大学院の人数を増やすことに注力してきました。そしてそれが日本の研究全体に非常に悪い影響を与えてきたと私は思っています。

一つ目の東大の問題は、研究者のレベルを維持するより人数を増すことに集中し、大学院修士課程の試験をほぼフリーパスにしてきたことです。その結果、地方の私大の院試にも受からないようなレベルの低い学生が、なぜか東大には受かるという逆転現象が過去20年くらい起きていました。(私の知り合いの元教授は修士課程の入試で、在任中一人も不合格者を出したことがないとおっしゃっていました)

二つ目の東大の問題点は、博士課程にあります。東大の博士課程では他の大学で博士号取得に必要とされる、査読付き専門誌への論文投稿が博士論文取得の必要条件とされないことです。日本の大学の理系の学部では査読付き専門誌への投稿(first authorかつ、博士論文発表までに受理されるのが条件)が最低何報というのがあります。地方の無名大学ほど実は要求される論文数が多く、5報以上必要な大学もあります。通常は1~3報程度でしょう。

査読付き専門誌は日本語のものでも構わないのですが、医学系以外は専門誌と言えばほぼ英語雑誌になります。ですから理系の研究者は少なくとも読み書きに関してはネイティブと同レベルで英語の論文を読み書きできなければならないわけです。そしてこの査読付き専門誌への投稿の本数が足りないために、博士号を取得できない学生は実際多くいます。

もちろん専門分野やテーマ、教授との相性などで不運にも研究が進まない学生もいると思いますが、外部の専門誌に投稿できる実力=世界と競合できる実力に他なりません。昨今こうした専門誌への投稿数が年々少なくなり、ここ20年で中国に圧倒的大差をつけられているという話は一般の方もご存じと思います。ですので、東大のように、査読付き専門誌への投稿ゼロでも博士をあげるよというのは、博士課程のレベルを維持することを放棄していると同じです。

この査読付き専門誌への投稿を博士号取得の必要条件にすることは理系学部では一般的なものの、理系学部以外では正直どうしているのかよく知りません。私は昔、カナダの大学の経済学部で経済学分野の研究活動をしていた時があるのですが、その時、日本人の経済学分野での英語論文は自然科学分野に比べて圧倒的に少ないという印象を持っていました。今でも同じかどうかはわかりません。

東大でなぜ博士号の取得に査読付き専門誌への投稿が必要条件とされないのかは、東大の研究レベルが外部の査読付き専門誌のどのレベルより高いという自負があり、伝統的に免除してきたからと聞いています。ただ大学院重点化以前は、東大に入ること自体が難関であり、その中から大学院に進学する学生は少数、かつさらに優秀な学生であったはずで、現在のようにフリーパスで外部から大学院生を取り込むことは想定していなかったでしょう。近年、修士課程に入った一部のレベルの低い学生が、お金と暇さえあれば大した論文を書かなくても、自動的に博士まで取得できるようになったことが問題なのです。

東大の教授をしていた某先生などは、外部から無試験で入る学生のレベルがあまりにひどいので、学力の低い学生は試験で落とすようにと学長に直談判したとか。が、とにかく人数を増やすことが至上命令と却下され、憤慨して別の大学に移られたくらい。

もちろん、昔から他大学から東大の大学院に進学する学生は一定の割合おり、その学生たちのレベルが皆酷かったわけではありません。私の大学の同級生は、大学院の途中で教授が東大に移ったため、博士課程から東大に移ったのですが、とても優秀な学生でした。彼が東大に移った当時、東大の学生は論文を書かなくていいので、とにかく実験しないので驚いたと言っていました。もちろん東大の学生にも優秀な学生はたくさんいるし、何も言わなくてもどんどん論文を量産する学生もいるはずですが、そうでない学生も沢山紛れていて、レベルの酷い学生は本当に手が付けられないのだと。

日本の研究レベルが落ちたのは、東大をはじめとする一部の大学が、学生や研究レベルを維持することより、人数に応じて得られる国からの補助金や交付金に目がくらんだことにあります。文科省の評価の基準が、どれだけいい研究をしているかではなく、大学の定員の充足率や博士を取得した学生の人数であることもまた一因です。つまり文科省には、大学の研究レベルなど評価不能ということです。

ちなみに日本の大学は入るのは難しいが、出るのは簡単というシステムをずっと維持しています。そろそろこのシステムを見直すタイミングだと私は考えています。昨今は大学の定員に比して学生の数が減り、AO入試など、従来の試験によらない入学も増えています。大学に入るための門戸を大きく開くのは悪くはないと個人的に思いますが、大学教育のレベルは死守すべきと。そうしないといくら大学に投資しても結果は出ません。

むしろ大学や大学院の卒業・修了要件を今より一層厳しくし、しっかり勉強しないと卒業できないようにすべきと私は思っています。そして厳しい条件下で成績優秀で卒業できた学生(例えば上位10%)にはボーナスとして授業料を返還してはと思います。大学卒業後の就職や雇用システムも問題があると思います。今は学生が大学で一生懸命勉強してもしなくても、社会的に就職活動その他においてなんの評価もされません。むしろ大学を卒業すれば、レベルが高いとされている大学でも、そうでない大学も、成績優秀でも、全く勉強しなかった学生も初任給は一緒です。これは日本の悪平等の一つで、過去イノベーションの阻害になってきたと感じています。

過去20年ほど、東大大学院出身となると、企業がたいして人物を吟味せず入社させていたことでしょう。日本の場合、人事は学生がどんな研究をやってきたかなんて全く興味がなく、個人の論文のタイトルを見ることさえしません。製薬企業でHRを担当している知人に言わせると、最近は大学院から有名大学に行く、いわゆる学歴ロンダ組の採用には慎重になっていて、こと東大大学院修了者に関しては、大学院より卒業した高校の知名度や学部から東大に入っているかどうかをチェックするようになったとか。この場合、本当に優秀で大学院で地方大学から東大に移った学生にとっては、いい迷惑でしかありません。

ポスドク問題も、従来では博士を取れなかったようなレベルの低い研究者に博士を与えたことも原因の一つだったと考えています。東大以外の大学では、博士課程入学の試験が無試験に近くても、査読論文の投稿数が足りない場合や博士論文が完成できなければ博士号はもらえないので、学生は在学中にきちんと淘汰されるはずです。(STAP細胞で有名になった小保方さん事件で、大学院がザル状態の大学が東大以外にもあると認識しましたが。。。)

日本の問題は、博士を増やすタイミングで、レベルをどう維持するか考慮せず、レベルを無制限に下げて人数を確保した点にあります。それが日本の研究レベルの低下と、まっとうな研究・技術評価体制構築を阻害しました。ですからポスドク問題を語るときには、あぶれたポスドクの人数だけではなく、適切な論文や実績がある人材が適切なポストにありつけているかという質的な分析も必要だと考えています。

その2に続く