HPVワクチンの今

今日は、私自身の経験も交えながら「HPVワクチンの今」についてお話ししたいと思います。実はHPVワクチンは、私にとって特別な思い入れのあるワクチンです。というのも、2000年代初頭、私は医薬品ライセンスの仲介の仕事に携わっており、その中の案件のひとつが、このHPVワクチンだったからです。

HPVワクチン開発の裏側で見たこと

HPVワクチンは、オーストラリアの免疫学者イアン・フレイザー、そして中国出身のウイルス学者ジャン・ジョウ(周健さん)によって発明されました。彼らの技術は、オーストラリアのCSL社に独占ライセンスされます。

HPVワクチンのコア技術である「Virus-like particles(VLP)」──ウイルスの殻だけを模したタンパク質を作る技術は、当時としては非常に難易度が高いものでした。CSLは自社での開発を断念し、サブライセンス先を探していました。

ちょうどその頃、私はCSL社を訪問し、日本企業への仲介を提案しました。担当者は自信満々にこう言いました。

「うちのHPVワクチンは、今Merckが開発しているものより優れている」

交渉は順調に進み、帰国後に正式な連絡を待っていた。ですが届いたのは「Merckがライセンス意向を示したため、日本企業への仲介はキャンセルしたい」という連絡でした。

その後、Merckは自社開発品の臨床試験をキャンセルし、CSLから導入したワクチンで開発を進め、ファストトラックでわずか2〜3年で上市します。当時としては異例のスピードでした。

日本企業に仲介できなかったことは、私自身も画期的なワクチンだと信じていたので、とても残念でしたが、同時に「日本企業ではここまで早く上市できなかっただろう」とも感じ、Merckが迅速に世に出したことを喜んでいました。

ちなみにGSKも独自にHPVワクチンを開発し、Merckより先に上市していますが、基本的なコンセプトは同じです。日本企業も後に開発に参入しましたが、最終的に上市には至りませんでした。

HPVと子宮頸がんの関係

子宮頸がん患者の99%以上からHPVの遺伝子が検出されるため、HPVが主要因であることは確立しています。ただし、HPV感染=がんではありません。

• HPVは100種類以上
• 特に16型・18型が「ハイリスク型」
• HPVの多くは数ヶ月〜1年で自然排除
• 問題は1〜2年以上続く「持続感染」

持続感染の理由はまだ分かっていませんが、免疫機能が関係すると考えられています。持続感染は異形成(CIN)を経て、数年〜十数年かけてがんに進行します。

臨床試験で「がんになるまで」を追うと20〜30年かかるため、CIN2/3といった前がん病変を指標に効果を評価しています。

HPVワクチンのメカニズム

HPVワクチンは、L1タンパク質からなるVirus-like Particle(VLP)を使います。中身のDNAは入っていないため、感染はしません。

自然感染ではHPVが血中に入らないため抗体がほとんどできませんが、ワクチンでは10〜100倍の抗体ができます。この抗体が粘膜表面に「滲み出る」ことで、ウイルスが細胞に侵入する前にブロックします。

ただし、治療効果はありません。すでに感染しているHPVを排除することはできません。

そのため初期は「感染前の10代女子」が対象でしたが、現在は男性にも接種を広げ、感染そのものを減らす方向に変わっています。

また、1回接種でも効果があるというデータが出てきており、英国やオーストラリアは1回接種に移行しました。

HPVワクチンの安全性──世界で何が起きていたのか

「日本だけ副反応が多かった」という報道がありますが、これは正確ではありません。2010年代前半、デンマークをはじめ欧州でも同じ問題が起きていました。

• 慢性疼痛
• 失神
• 起立性調節障害(POTS)
• 寝たきりになるほどの重症例

被害者団体が結成され、訴訟や政治問題に発展しました。

欧州医薬品庁(EMA)は2015年に大規模レビューを行い、「因果関係を支持する証拠は見つからない」と結論づけました。ただしこれは「症状が存在しない」という意味ではなく、「因果関係が証明できなかった」という意味です。
参考:Review concludes evidence does not support that HPV vaccines cause CRPS or POTS  

一方で、企業データへの依存や過少報告の懸念など、批判もありました。
参考:EMA’s mishandling of an investigation into suspected serious neurological harms of HPV vaccines 

その後、欧州ではこの規制当局の結論以降、重篤な副反応に関する報告が公に出なくなってきました。これはそのような事実がなくなったのではなく、Googleなどの検索アルゴリズムが変わり、公的機関の情報が優先されるようになったためです。

医療情報に関しては、公的機関(WHO、EMA、CDC など)、大手医療機関、医学誌・大学サイトを上位表示し、センセーショナル動画や一部の陰謀論サイトを相対的に下位に押しやる方向にアルゴリズムを変更してきました。その結果、以前は「HPV vaccine side effects Europe」などでテレビドキュメンタリーや被害動画がたくさん出てきたのですが、今は公的機関や大規模疫学研究のページが優先して表示されるようになっています。

WHOは、27億回以上の接種データと大規模研究を統合し、重篤副反応は「100万人に5〜6人」としています。

日本の救済制度から見えること

2013〜2021年の接種者約41万6千人に対し、救済検討数75件(およそ1万人に2人)、認定件数34件(およそ1万人に0.8人)
疫学調査の「100万人に5〜6人」と比べると、検討数や認定数は高い傾向にあります。ただし、接種回数が増えた2022年以降は分母が増え、WHOの大規模研究データに近づいています。

*スペースでは救済申請数を506件と異なる資料の数字について言及しておりました。大変申し訳ありませんでした。訂正してお詫びします。また認定率についても同時に訂正します。

• 2015年は救済認定率が67%
• 2016年ー2019年までは50%以下、以降認定率は増加傾向

因果関係の証明が難しいことは、コロナワクチンでも経験済みです。申請者の中には、HPVワクチンと関連のないケースも含まれるかもしれませんが、副反応があっても手続きの煩雑さから申請しない人も多いことを考えると、日本の副反応の発生率は低くはないと言えるでしょう。

HPVワクチン年度別接種状況

年度1回目接種者数2回目接種者数3回目接種者数
H25(2013)98,656人66,568人87,233人
H26(2014)3,895人4,172人6,238人
H27(2015)2,711人2,669人2,805人
H28(2016)1,834人1,805人1,782人
H29(2017)3,347人2,666人1,847人
H30(2018)6,810人5,746人4,184人
R1(2019)17,297人13,571人9,701人
R2(2020)83,735人61,266人37,556人
R3(2021)198,474人182,463人139,014人
R4(2022)540,681人476,322人336,762人
R5(2023)659,175人507,820人430,102人

出展:

第60回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会 予防接種基本方針部会 資料1  

第 102 回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会、令和6年度第4回薬事審議会医薬品等安全対策部会安全対策調査会 資料3-1

年度検討数認定数認定率(%)
H25(2013)00
H26(2014)00
H27(2015)12867
H28(2016)13431
H29(2017)18950
H30(2018)19737
R1(2019)9444
R2(2020)22100
R3(2021)200
R4(2022)6583
R5(2023)66100

出展:厚労省「疾病・障害認定審査会」資料を基に集計されたもの。「予防接種健康被害救済制度におけるHPVワクチン副作用被害救済状況について」 より作成

各国の接種率

• 英国:女子80〜85%、男子70%前後(2023年より1回接種へ移行)
• オーストラリア:女子80〜90%、男子75〜85%(2023年より1回接種へ移行)
• 米国・カナダ:70〜90%(州による差が大きい)
• 韓国:12歳女子87%
• フランス:40%(学校接種開始で上昇傾向)

日本は2023年に1回目接種率が約70%まで回復しました。

ワクチン政策の「倫理」と個人の選択

欧州では、10代で接種した世代が30代に入り、がん年齢に近づいています。

これまでの調査では、接種群でHPV感染率・異形成(CIN2/3)の発生率が大きく減少しています。
子宮頸がんの減少データが出るには、あと10〜20年かかりますが、ワクチンのコンセプトとしては「期待通りに働いている」と評価されています。

子宮頸がんは進行が遅いがんであることから、定期検診をしていれば見つけられるという意見もあります。ですが定期検診ではHPVの感染や異形成を早期に発見することが可能でもHPVの感染そのものは防げません。

ただし、ワクチンも万能ではありません。

• すべての型を防げるわけではない
• ブレークスルー感染もある
• 検診は必須

日本は特に婦人科検診の受診率が低く、ここが最大の課題です。

米国では子宮頸部の細胞を自分で採取して郵送し、細胞ががん化しているかどうか調べる、自己採取のPAPテストが普及していますが、日本では技術的理由から医師以外は実施できません。

一方、HPV感染の自己採取検査は日本でも可能で、自治体の助成も始まっています。HPVの感染が確認されたら、必ず婦人科を受診という流れを作ることが重要です。

「打つ自由」と「打たない自由」

公衆衛生は「集団の利益」を重視しますが、個人は「自分の身体のリスク」を重視します。HPVワクチンはまさにその典型です。100万分の5という数字は、公衆衛生的には「許容されるリスク」かもしれません。しかし、重篤な副反応を経験した個人にとっては「1分の1」です。

だからこそ、「打つ自由」と同じくらい「打たない自由」も尊重されるべきだと私は考えています。
そのためには、正確な情報と選択肢が必要です。

まとめ──日本の女性の健康を守るために

• HPVワクチンは科学的には効果があると評価されている
• 一方で、世界共通の重篤な副反応報告があり、メカニズムは未解明
• 個人の選択は尊重されるべき
• 日本の最大の課題は「検診率の低さ」
• ワクチンか検診か、ではなく「両方をどう整えるか」

「推進か反対か」という二項対立ではなく、どうすれば日本の女性の健康を守れるのかという視点で議論が進むことを願っています。私も引き続き、HPVワクチンの動向を見守り、発信していきたいと思います。

追記:スペースでの質問やコメントを受けて

スペースへのご質問やコメントの中に、名古屋スタディに関するものがありました。私自身この研究について把握しておらず、勉強不足で大変失礼いたしました。名古屋スタディのリンクは以下に記載しています。

子宮頸がん予防接種調査の結果を報告します  名古屋市HP

ヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンの接種後症状についての大規模疫学調査(名古屋スタディ)と健康者接種バイアス

名古屋スタディは、名古屋市が実施した大規模な疫学調査で、郵送アンケート方式により3万人以上から回答を得て解析されたものです。24種類の症状について検討した結果、ワクチン接種がこれらの症状のリスクを高めるという仮説は支持されませんでした。つまり、「症状は存在するが、ワクチンとの因果関係は認められない」という結論です。この結果について、私は特に異論を述べるつもりはありません。意図的なデータ操作がなく、妥当な解析モデルに基づいて導かれた結果であれば、その結論自体を問題視する理由はありません。

ただし、疫学研究では、モデルの設計や前提条件、使用するデータの選択によって結果が変わることも珍しくありません。実際、この名古屋スタディと同じデータを用いた別の解析(八重・椿論文)では異なる結果が示され、特定の症状で大きく異なるオッズ比が報告されています。

Safety concerns with human papilloma virus immunization in Japan: Analysis and evaluation of Nagoya City’s surveillance data for adverse events

それから隈本邦彦氏による、名古屋スタディについての批評的論文もあります。

” 名古屋スタディ”という疫学研究は存在しない 自由記載欄にこそある真実に目を向けるべきである

実際名古屋市の「名古屋スタディ」の資料を見ると、自由記載のコメントをすべて読むことができます。興味深いのは、本人ではなく、母親が記入していると思われる記述が多い点です。ワクチンを肯定的にとらえているコメントもありますが、ワクチンの副反応に対する不安が多く語られています。また隈本氏の指摘のように、実際にワクチンを接種して体調がすぐれないという悲痛なコメントもあります。

国際的には、デンマークを中心にHPVワクチンの副反応に関する調査・解析が進められており、これらの疫学研究でも名古屋スタディと同様に、重篤な有害事象のリスク増加は認められていないという結果が導かれています。こちらは調査対象がかなり大きな数になっています。

Autoimmune, neurological, and venous thromboembolic adverse events after immunisation of adolescent girls with quadrivalent human papillomavirus vaccine in Denmark and Sweden: cohort study

Quadrivalent HPV vaccination and risk of multiple sclerosis and other demyelinating diseases of the central nervous system