GLP-1受容体作動薬について

今日は、世界中で大きな話題になっている「GLP-1受容体作動薬」について、科学・社会・産業・文化的側面を横断してお話しします。

GLP1受容体作動薬は、もともとは糖尿病治療薬として開発された薬です。それがいまや「やせ薬」としてSNSでバズり、製薬企業の株価まで動かしています。医療の枠を超えて社会現象になっている薬は、このGLP1受容体作動薬(以下GLP1)くらいだと思います。

今日は、「糖尿病とは何か」→「なぜGLP-1が肥満に効くのか」→「企業競争」→「製造技術」→「日本の特殊事情」→「世界との比較」という流れでお話しします。

糖尿病とは何か?何が問題なのか?

まずGLP-1の話に入る前に、糖尿病そのものを整理します。

糖尿病は、血液中のグルコース(血糖)を細胞に取り込むホルモンである「インスリン」の働きが弱くなり、血糖が高い状態が続く病気です。

血糖が高い状態が続くと、血管がじわじわと傷つき、全身の臓器がダメージを受けます。

たとえば、

• 心筋梗塞や脳卒中のリスクが上がる
• 腎臓が壊れて、体に有害なものを排泄できなくなり、最終的に透析が必要になる
• 目の血管が傷んで失明する
• 神経障害で足の感覚がなくなる
→ ひどい場合は壊死して切断に至ることもあります

つまり糖尿病は「血管の病気」とも言えるかもしれません。

糖尿病というと、「暴飲暴食をした人がなる病気」「不摂生の結果だ」と思われがちですが、実はそれだけではありません。
遺伝的に糖尿病になりやすい体質の人は多く、生活習慣だけでは説明できないケースもたくさんあります。特に日本人は、欧米人と比べて高度な肥満がなくても糖尿病になりやすいという特徴があります。また、遺伝的な要因によって若い年齢で糖尿病を発症する人もいます。

つまり糖尿病は、「自己管理が悪いからなる病気」ではなく、体質・遺伝・環境が複雑に関わる病気だということです。

いろいろな糖尿病薬

糖尿病薬にはいくつか種類があります。

• インスリン分泌を促す薬(スルホニル尿素薬、GLP-1など)
• インスリンの効きを良くする薬(メトホルミン、チアゾリジン系糖尿病薬)
• 糖を尿から排出することを促進する薬(SGLT2阻害薬)
• インクレチンという、インスリン分泌を促すホルモンを分解する酵素を阻害する薬(DPP4阻害薬)

この中でGLP-1は、食後のインスリン分泌を調整するホルモンである「インクレチン」を模倣した薬です。ちなみに「インクレチン」は一つのホルモンを指すのではなく、インスリンの分泌を促すホルモンの総称で、GLP1やGIPといったものが知られています。

GLP-1は血糖を下げるだけでなく、

• 胃の動きをゆっくりにする
• 脳の満腹中枢に作用して食欲を抑える

という二つの働きがあります。

このGLP1のメカニズムが、肥満治療に応用される伏線になっています。

GLP-1が抗肥満薬として爆発的に受け入れられた理由

今、肥満は「意志の弱さ」ではなく、脳の食欲制御システムが変化する慢性疾患と捉えられています。

従来の抗肥満薬は、

• 効果が弱い
• 副作用が強い

という課題がありました。そこに登場したのがGLP-1です。

GLP-1は血糖が高いときだけ作用し、低くなるとインスリン分泌を止めるため、低血糖が起きにくいという特徴があります。さらに中枢作用で「食べたい」という欲求そのものを下げ、胃の動きをゆっくりにして満腹感を長く保ちます。臨床試験では、セマグルチド(ウゴービ)が平均15%の体重減少を達成しました。これは肥満治療の歴史を変えるレベルです。

アメリカは現在、肥満率が40%を超える肥満者会です。そのため、このGLP1の社会的ニーズが爆発し、GLP-1は一気に社会現象になりました。

製薬企業の熾烈な競争と「インスリンの地政学」

現在のGLP1の主役は、

• ノボノルディスク(デンマーク)
• イーライリリー(アメリカ)

この2社です。ノボ社は、オゼンピック(糖尿病)/ウゴービ(肥満薬)というGLP1を持っています。リリー社はマンジャロ(糖尿病)/ゼップバウンド(肥満薬)というGLP-1/GIP受容体二重作動薬を持っています。

*両社とも同じ成分で、糖尿病薬用途と肥満薬用途の製品を持っています。

今これらの医薬品の需要が急増し、世界中で供給不足が起きています。両社の企業価値は急上昇し、国家レベルの経済にも影響するほどです。

実はこの2社、もともと糖尿病の治療に使われる、インスリン薬のトップ企業でもあります。インスリンは古くからあるペプチド医薬で、ノボ・リリー・(仏)サノフィの3社が寡占してきました。

ちなみに糖尿病は重症になると、インスリンの分泌そのものが難しくなったり、元々インスリンの分泌が弱いタイプの糖尿病の人もいて、そのような場合にはインスリンを外から補う必要があります。ですから現在でもインスリンは糖尿病において重要な薬です。

インスリンの製造方法

そしてそのインスリンの製造方法ですが、

• イーライリリー:大腸菌でインスリンを製造
• ノボノルディスク:酵母(パンや酒に使われるものと同様の種類の酵母)で製造
→ 酵母を使った製造はコストが安く、大量生産に向く

したがって、インスリンの市場では、価格競争力のあるノボ社のインスリンのシェアが他の2社より大きかったのです。ところが近年、インドのバイオコン社がPichiaというノボ社とは違う工業用酵母でさらに安くインスリンを作り、低所得国を中心に市場を拡大しています。

バイオコン社はジェネリック大手の米国のマイラン社(現ヴィアトリス社)のバイオシミラー部門を買収し、販売網を手に入れ、近年アメリカでもインスリンバイオシミラーの承認を取得しました。高騰する医療費を抑制しようと躍起になっている米国で、安価なインスリンが市場を拡大するのは時間の問題でしょう。

つまり、インスリン市場の地政学が揺らぎ始めているのです。そんな背景があり、ノボ社はインスリンに代わるパイプラインの開発を進めていました。そしてリリー社と熾烈な特許争いを戦ってきました。

GLP1の開発競争

GLP-1アナログの開発では、当初リリー社が先行していました。しかし、リリー社が最初に手がけたGLP-1アナログは血中半減期が短く、実用化には不向きでした。

その後、ノボ社がDPP-4による分解を受けにくくするため、脂肪酸をペプチドに結合させる工夫を取り入れ、血中半減期の長いGLP-1アナログを開発します。さらに改良を重ねた結果、現在広く使われているセマグルチド(商品名:オゼンピック、ウゴービ)が誕生しました。

一方でリリー社は、ノボ社の特許を回避しつつ独自の方向性を追求し、より高い効果を狙ったGLP-1/GIP受容体の二重作動薬へと進化させています。

こうして両社は特許戦略も含め、激しい競争を繰り広げてきたのです。

*もっと詳しく知りたい方は、下記のリンクをご参照ください。非常にわかりやすくまとめられています。

GLP-1受容体作動薬の開発競争と特許の攻防について解説

同じペプチド薬でも製造方法は全く違う

インスリンは酵母や大腸菌で作る「培養型」のバイオ医薬ですが、GLP-1薬は 完全化学合成(固相合成) です。

化学合成は、

• 不純物やウイルス混入のリスクが低い
• 精製が容易

というメリットがありますが、実は大量生産には向いていません。

そのため需要が急増すると、製造が追いつかなくなります。今まさにその状況です。

世界中のペプチド製造企業がフル稼働していて、日本でも補助金を出してペプチドの化学合成ができる工場を増やそうという動きがあります。

ただし、これは永続的な需要ではない可能性があります。技術革新が起きれば、一気に状況が変わります。たとえば中外製薬は、経口投与できる非ペプチド型のGLP-1受容体作動薬を開発し、2018年にリリー社にライセンス導出しました。そしてリリー社は昨年末に米国で承認申請しました。

これは非ペプチドですので、ペプチドの製造設備は必要ありません。従来型の低分子用製造設備があれば製造可能です。低分子医薬は一般的に製造コストがペプチドに比較して低く抑えることができるので、一気に市場が拡大する可能性があります。そうなると、ペプチド合成の需要は逆に一気に縮小する可能性があります。まさにゲームチェンジャーです。

世界と日本の「肥満」の違い

アメリカでは「貧しい人ほど太る」という現象があります。安価な食品が高カロリー・高糖質だからです。

ジャンクフードは、油+糖質という脳の報酬系を最大限に刺激する組み合わせです。砂糖は依存性が強く、脳科学的には「麻薬より怖い」と表現されることもあります。

一方、日本はまったく逆です。

世界基準ではBMI30以上が肥満ですが、日本ではBMI25以上を肥満としています。日本の肥満人口はBMI25以上が人口の20%、BMI30以上が人口の4%です。

実は日本の場合、深刻なのは、20代女性のやせすぎです。BMI18.5以下の「やせすぎ」の日本女性は5人に1人。日本の若い女性の平均BMIは、戦後の食糧難より低く、アフリカの食糧事情の悪い国より低い状況です。

にもかかわらず、SNSを中心に「もっと痩せたい」という圧力が強く、栄養不足による不妊や骨粗鬆症が問題になっています。

さらに、本来は病的肥満の治療に使うGLP-1が、オンライン診療で「やせ薬」として乱用され、糖尿病薬として供給不足を招き、必要な糖尿病患者に届かないという事態も起きました。

乱用され始めているGLP1の健康被害はまだ確認されていませんが、厚労省も問題視しています。規制は追いついていません。

まとめ

GLP-1は、単なる「やせ薬」ではありません。

社会の価値観、経済格差、医療アクセス、食文化の歪みを映し出す鏡のような存在です。科学的に正しい理解を持ち、必要な人に薬が届く仕組みを整え、私たち自身の「食と健康の文化」をどう作り直すか。GLP-1は、その議論を始めるきっかけになる薬だと思います。