「女性の休日」から考える、ジェンダー平等の歩み

ここ最近は映画の話題が続いていますが、今回も現在公開中のドキュメンタリー映画 『女性の休日』 を取り上げたいと思います。この作品は、アイスランドで実際に起きた女性の地位向上のための歴史的な運動を描いたものです。

女性の休日公式サイト

ジェンダーギャップ指数とは?

アイスランドといえば、今では「男女平等社会」の代表格。世界経済フォーラムが毎年発表する ジェンダーギャップ指数 でも常にトップを維持しています。

この指数は、男女間の格差を以下の4分野で数値化して算出されます。

  1. 経済参加と機会(労働市場への参加率や賃金格差)
  2. 教育の達成度(初等・中等・高等教育の修了率)
  3. 健康と生存(性別による健康状態や平均寿命の差)
  4. 政治的エンパワーメント(政策決定における女性の参加度)

日本は特に「政治的エンパワーメント」と「経済参加と機会」のスコアが低く、先進国の中では最下位レベル。女性の社会進出が遅れているとされる一部のアフリカ諸国と同水準にとどまっているのが現状です。

アイスランドの過去と「女性の休日」

かつてのアイスランドは漁業や酪農といった「男らしい産業」が中心で、女性は家庭に入るのが当然とされていました。そんな社会が大きく変わるきっかけとなったのが、1975年10月24日に行われた 「女性の休日」 です。

この日、国内の女性の9割以上が家事も職場の仕事も含めて一切の労働をボイコット。目的は「女性の労働が社会を支えていること」を男性に実感させることでした。映画では当時のリーダー的女性たちの証言を交え、この運動が社会をどう変えたかが描かれています。

「休日」と名付けた理由

私が特に面白いと感じたのは、この運動を「ストライキ」ではなく「休日」と呼んだ点です。実質的にはストライキですが、保守派の女性たちが「ストライキ」という言葉に抵抗を示したため、罪悪感なく参加できるように「休日」と名付けられました。

革新派の女性たちも、この運動が「ストライキ」であるという認識を持ちつつも、まずは全女性が「共闘」することを前提に妥協したというわけです。この辺の政治の駆け引きも興味深かったです。

この工夫によって、働く女性だけでなく専業主婦層も巻き込み、国民的なムーブメントに発展しました。現在でもこの日は、女性が家事を含めた一切の労働をしない日とされているようです。。

働く女性と主婦層の溝

ここで少し日本の状況に触れたいと思います。日本でも専業主婦を中心とした保守派と、仕事を持つ女性の間には深い溝があります。

例えば第三号被保険者制度――これはサラリーマン(ウーマン)の配偶者である専業主婦(夫)だけの特権で、共働き世帯や個人事業主世帯と比べると不公平です。私は健康保険や年金の掛け金は夫婦それぞれが負担すべきと考えていますが、こうした発言をすると「主婦の仕事を軽視している」と問題点をすり替え、批判されることもあります。家事労働の価値のあるなしの議論と、健康保険や年金の掛け金を夫婦が二人分きちんと払うことは直接因果関係がないのですが、理解を得ることは難しいです。

アイスランドでも当時、働く女性と主婦層の間に大きな溝がありました。運動を進めたのは働く女性が中心でしたが、主婦層をどう取り込んで女性全体の意志としてどうアピールするかが大きな課題でした。保守派の中には、「自分の生き方を否定された」と感じた女性もいたそう。映画ではその葛藤が非常に興味深く描かれていました。

子どもの頃の違和感を持ち続ける力

映画に登場する女性たちの多くは、幼い頃から「女の子はこうすべき」という価値観に疑問を持ち続けていました。そしてその後、ある女性はアイスランド初の女性最高裁判事になり、ある女性は統領になりました。

普通は大人になるにつれて子どもの頃の違和感や夢を忘れてしまいますが、社会を変える人というのは、それをずっと持ち続けられる人なのだと改めて感じました。

運動の成果とその後

この運動から5年後、アイスランド初の女性大統領ヴィグディス・フィンボガドッティル氏が誕生。国会議員の男女比率はほぼ半々となり、育休制度も男女平等に。2018年には賃金格差を禁止する法律も施行されました。

ただし課題も残ります。2008年のリーマンショックでは、アイスランドがかつてのマッチョな産業から脱却し、金融業に偏った経済構造に突き進んでいたため、壊滅的な打撃を受けました。当時この金融業界で意思決定権を持っていたのは男性が中心であり、リスクを取りすぎ、ハイリスクハイリターンな取引を繰り返していたのです。この男性優位の意思決定が経済破綻につながったとして、アイスランドは意思決定に多様性を重視する方針に転換し、上場企業の役員の性別比率を6対4にする法律を制定しました。

日本の伝統と西洋化

ここで日本の歴史に目を向けると、実は女性の地位は欧米に比べて低かったわけではないと考えます。例えば天照大神は女性であり、太陽神であり、皇室の祖先とされています。

日本の古代文学にも女性作家が多く存在します。これは世界的に見ると極めてまれなことです。どんなに身分が高くても財産があっても、日本以外の国では、女性は読み書きができなくて当然という国が多かったのです。まして女流作家や、女性の作品に価値があると思う人は、日本を除けば現代になるまでほとんどいなかったでしょう。一方で日本の女性の文学は、後世の男性国学研究者たちからも高く評価されてきました。近世までの日本人男性は、作品が男によって書かれたものか、女によって書かれたものか関係なく、作品のクオリティできちんと評価できる、世界的にまれな人たちでもあったわけです。

しかし明治維新以降、西洋の価値観が輸入され、女性に対する制限が強まりました。現在問題にされている戸籍制度も、明治以前は夫婦別姓でしたし、女性天皇も存在しました。

この点を誤解している人が多く、「日本の伝統だから仕方ない」と思い込んでいるケースもあります。実際には、近代化の過程で女性の権利が制限されていったのです。

日本版「女性の休日」構想

最近、日本でも一部の女性団体が「女性の休日」を実施しようと計画していると聞きます。国際女性デー(3月8日)の前後を候補に検討しているそうです。女性首相が誕生した今、保守派と革新派の違いを超えて全女性が団結できるかどうか、新しいムーブメントの可能性が広がっています。

まとめ

「女性の休日」は、女性たちの労働の価値を可視化し、社会を変える大きなきっかけとなりました。日本でも伝統や制度を見直しながら、新しい形の平等を模索する必要があります。

次回は、国際結婚における日本女性の子ども連れ去り問題について取り上げたいと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。