今日はあまり知られていないけれど、深刻な社会課題である「無国籍」と「無戸籍」について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
フジコ・ヘミングさんの人生から見える「無国籍」の現実
先日、フジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミング 永遠の音色』を観ました。彼女は日本でも有名なピアニストで、昨年亡くなられました。68歳を過ぎてからテレビで紹介され、一躍人気となった方です。
彼女の人生は、音楽の才能だけでなく、無国籍という重い背景に彩られていました。実は、若い頃に海外留学を望んでいたにもかかわらず、パスポートが持てず叶わなかったのです。なぜなら、彼女は無国籍だったからです。
彼女はドイツのベルリンで、スウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれました。当時の日本の国籍法では、父親が日本人でなければ日本国籍を取得できませんでした。そのため、彼女は日本で育ちながらも、国籍を持たないまま成長しました。
当時のスウェーデン側の法律がどうだったかは定かではありませんが、もし出生届をスウェーデンで出していれば、スウェーデン国籍を取得できたかもしれません。しかし、当時は国際的な手続きが今ほど簡単ではなく、第二次世界大戦の影響もあり、国境を越えた手続きは非常に困難であったと思います。
その後、彼女は支援者の勧めで難民としてドイツに渡り、スウェーデン国籍取得し、のちにイギリス国籍を取得して欧州に滞在することになりました。こうした経緯は、国籍制度がいかに個人の人生に影響を与えるかを物語っています。フジコヘミングさんの例は、彼女が著名な方であるがゆえに、無国籍問題を考えるよい例になるとと思います。
「ジャパゆきさん」と無国籍の子どもたち
1984年、日本の国籍法が改正され、母親が日本人であっても子どもが日本国籍を取得できるようになりました。今では、未婚の母でも、母親が日本人であれば、届け出をすれば子どもは日本国籍を得られます。フジコさんが現代に生まれていたら、問題なく日本国籍が取れたわけです。
しかし、国籍法改正以前は、外国人との間に生まれた子どもが無国籍になるケースが多くありました。その後1980年代には、フィリピンやタイから出稼ぎに来た、いわゆる「ジャパゆきさん」と呼ばれる女性たちが、日本人男性との間に子どもを授かるも、認知されず、無国籍となる悲劇が繰り返されました。
ちなみに現在でも、外国人女性と日本人男性の間に生まれた子供が無国籍のまま放置されるケースがたくさんあります。母親が外国人の場合、言葉の問題から届出義務を知らない、届け出の方法がわからないなど放置されてしまうケースがあるわけです。男性側にももちろん問題があるわけですが、日本では、後からお話しする無戸籍問題も含めて、親としての責任や義務についてはあまり言及されないですね。
ちなみに今の若い世代は、「ジャパゆきさん」という言葉自体をご存じないかもしれませんが、この言葉は19世紀後半に東南アジアへ出稼ぎに行った「カラゆきさん」に由来しています。「カラ」とは中国のことです。貧しかった日本は、女性が海外に出稼ぎすることで、外貨を獲得していた時代があったわけです。1980年代はその動きが逆転し、日本に出稼ぎに来る外国人女性が増えた時代でした。ちなみに「からゆきさん」の歴史を描いた映画『サンダカン八番娼館 望郷』は、私も子どもの頃に観て大変衝撃を受けました。興味のある方ぜひご覧になってください。
そして円安の現在、再び日本女性が海外に出稼ぎに行く動きが活発化しています。欧米の空港などで、売春目的の日本女性が摘発されるケースが増えているようです。今も昔もより稼げる国へ人の移動があるのは当然のことでしょうし、交通網が発達した現代はなおさらでしょう。今後「無国籍」問題は日本で働く外国人の増加とともに増えていくと思います。
無戸籍の背景にある制度の壁
さて、次に「無戸籍」問題について考えてみましょう。無戸籍になる理由は主に二つあります。
一つ目は、DV被害から逃れるために、加害者に居場所が知られるのを恐れて出生届を出さないケース。
二つ目は、離婚後の再婚禁止期間中に別の男性との間に子どもを授かり、前夫の子とされるのを避けるために出生届を出さないケースです。
これらの背景には、日本の戸籍制度の父系主義があります。かつては戸籍の筆頭者が男性であり、子どもはすべて父親に属するという考え方でした。離婚後も、子どもは父親の戸籍に残り続ける仕組みだったのです。
日本の場合、離婚したカップルの86%で、母親が子供の親権を得ています。ですが日本の戸籍が父系主義をとっているため、子供は戸籍上父親の戸籍に残り続けます。日本では離婚後、養育費を払い続ける父親は2割を切っており(しかも諸外国のように政府による父親の給与からの養育費の天引き、財産差し押さえのような強制執行がない)、逃げ得となっています。このため日本の母子家庭は諸外国に比べ、経済的に一層困窮する理由になっているのですが、日本の場合戸籍上の親は、日々一生懸命子育てをしている母親ではなく、父親でありつづけるという矛盾があります。
実は私も子供のころ、両親が離婚し、父親が借金を抱えていたことで、自身に借金取りが来ないように家庭裁判所で父親の戸籍から完全に籍を抜くという手続きをしたことがあります。裁判を起こさないと子供は父親の籍から抜くことができないわけです。
夏の参議院選挙では選択的夫婦別姓問題に関連して夫婦別姓にすると戸籍制度が壊れると訴えた政党がありましたが、個人的には子どもが成人になった時点で、父親か母親いずれかの戸籍を選択できる制度がよいと考えています。つまりきちんと親の役目をはたしていない親に、子供がNOを言える制度ですね。
さらに父系主義の戸籍制度下では、女性の離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子どもとする決まりがありました。ちなみ欧米では、離婚後に生まれた子供は自動的に再婚相手の子供になるケースが多いです。また女性にのみ再婚禁止期間があり、かつて6か月、その後100日に短縮され、令和4年にようやく女性の再婚禁止期間は撤廃されました。DNA鑑定が可能な今、婚姻中、離婚後とわず、女性が生む子供の親がだれかは簡単に判定できますし、こうした制度は時代遅れと言えるでしょう。
また、DVから逃れるために出生届を出さない場合も、無戸籍の子どもは学校に通えず、社会保障も受けられません。こうした事情のある子どもには、独立した戸籍を作る制度が必要です。家庭裁判所に申し立てれば実は戸籍を作ることが可能ですが、親が情報に疎く、手続きがわからないなど、そのまま放置されるケースも多いようです。日本には1万人以上の無戸籍者がいると言われています。
映画『誰も知らない』が描く社会の無関心
ここで、もう一つ映画の話をさせてください。『誰も知らない』という作品をご存じでしょうか。巣鴨子供置き去り事件という実際の事件をモデルにした映画です。
母親が複数の男性との間に子どもを産み、出生届を出さず、子どもたちはみな無戸籍。子供たちは学校にも行けず、社会から取り残されていきます。映画では母親の育児放棄と社会の無関心で次第に子供たちの生活が苦しくなる様が淡々と描かれ、見ている者の心をゆっくりと締め付けます。
主演の柳楽優弥(やぎら ゆうや)さんは、14歳でカンヌ映画祭の主演男優賞を受賞しました。実話では、三女が長男の友人の暴行で亡くなり、長男は教護院に入ります。彼は事件発覚時点では、自分の名前を書くのが精一杯でしたが、その後勉強を始め、大学に進学し、上場企業に勤めたそうです。長男はこのような家庭に生まれていなければ、きっと学業も優秀で、社会的にも活躍された方になったのではないでしょうか?
一方、妹たちは養護施設に預けられた後、母親に戻され、行方不明になったといいます。日本では「母親が育てるべき」という固定観念が強く、子どもを社会で守る仕組みが不十分です。
制度の隙間に落ちる子どもたちを見つめて
無戸籍問題は、親の無知やエゴが子どもの人生を左右する深刻な問題です。子ども自身が望まない場合には、親から離れて独立した生活を送れる制度も必要だと思います。
日本人は、他人との距離を保ち、おせっかいを避ける傾向があるかもしれません。しかし、子どもに関しては、社会が積極的に介入できる仕組みを整えるべきです。とくに、無戸籍や無国籍の子どもたちは、教育や医療、社会保障といった基本的な権利すら奪われることがあります。これはまさに、子どもの人権が侵害されている状態です。
日本では、無国籍・無戸籍の問題を「制度の不備」や「親の責任」として片づけてしまいがちですが、これは本質的に人権問題であるという認識がまだまだ薄いと感じます。だからこそ、法整備は「普通の家庭」の視点ではなく、制度の隙間に落ちてしまう事情のある家庭や子どもたちの視点から進める必要があります。 すべての子どもが、国籍や戸籍の有無にかかわらず、安心して教育を受け、医療を受け、社会の一員として尊重される――そんな社会を目指して、私たちは制度の見直しと人権意識の向上に取り組んでいくべきだと思います。

