日本の医薬産業について

私が知る限り、医薬産業は日本の基幹産業ではありません。日本の産業の花形は、鉄鋼であり、通信であり、半導体であり、あるいは自動車であったと思います。このような理由から、基本的に政府は、医薬産業にあまり投資を行ってきませんでした。

昨今、様々な理由から、かつて基幹産業であったはずの企業からの税収が落ち込んでいます。一方で医薬品産業は、安定した法人税を納めており、にわかに政府が注目しはじめたと思います。

日本はつい最近まで、世界で米国に次いで二番目に大きな医薬品市場でした。現在は中国に抜かれ三番目になっています。日本が医薬品研究開発において世界に肩を並べることができたのは、個人的には化学に強かったのが理由だと思っています。

20年以上前まで、新薬の研究開発というと、他社の特許に記載されている医薬品の有効成分(低分子化合物)に着想を得て、その活性を維持あるいは高めながら構造を変えることでした。全く新しいところから生み出すというよりは、構造を変えてより良いものを作るという作業です。もちろん、化学の知識や合成の技術がなければ、その作業自体不可能ですから、日本はそれなりに優秀であったという証でもあったと思います。ですが、そういった新薬を生み出す(創薬)プロセスは、ここ20年ほどで大きく変わりました。

現在の創薬は低分子化合物だけではなく、抗体やペプチド、核酸医薬など多岐の「モダリティ」と呼ばれる、創薬手段を駆使するようになりました。何よりもまず、創薬プロセスが、あるものを改良するではなく、新しい薬の作用のメカニズムを見出すところから始まり、そのメカニズムにあったモダリティを選ぶ方式に変わりました。

創薬のメカニズムを探索するには、生物分野の基礎研究が絶対欠かせません。この基礎研究の厚みこそ、次世代の薬を生み出す力です。日本が世界の潮流に遅れだしたのは、実はこの基礎研究に長年投資をしてこなかったことが理由と思います。

新型コロナワクチンの研究開発では、日本は残念ながら未だに日本初のワクチンを上市できていません。ワクチン開発に対する投資が足りないから、厚労省の承認審査が厳しいからという理由もあるかもしれませんが、そもそもワクチンを開発する前提条件である基礎研究が進んでいなかったからと考えます。日本企業の中には、新型コロナウイルスの感染が始まってすぐ、自社での開発をあきらめて海外企業が開発したワクチンを導入し、日本で製造することを決めた企業もありました。

政府も基礎研究やワクチンの研究にではなく、ワクチンの生産体制の整備に対して巨額の補助金を約束しました。今回は緊急事態ということもあり、仕方がない措置かもしれません。ですがそれにしても日本の投資はあまりに箱モノ重視で、研究そのものに対する投資がおろそかになっていると言わざるを得ません。

第一、実際に製造するワクチンの製品化のめども立たないのに、先に設備にばかり投資してどうするのでしょうか?もちろん設備は直ぐに作ることはできないので、ある程度先行投資が必要です。製造に関するノウハウや技術者の養成も必要です。ですがワクチンを開発している企業のそれぞれに、製造設備を作ることに意味はあるのでしょうか?そんなにたくさんの種類のワクチンをこれから本当に製造する予定なのでしょうか?

政府はこれまで、日本の工場で製品を作ることが、日本初イノベーションだと勘違いしていたのではと思います。少なくとも医薬産業における日本初イノベーションとは、日本で生まれた知的財産です。それが世界の様々な製品に使われることにより、特許料収入をもたらします。日本である程度製造できる体制は必要ですが、今は世界中に医薬品の製造を請け負ってくれる企業があるので、研究開発能力があることの方がもっと重要です。

日本の研究開発能力を維持しなければ将来、日本は海外から医薬品を購入するしかなくなるかもしれません。薬によっては他の国で承認されているのに、日本では使えないという事態も起きるかもしれません。このような事態を回避するためにも、もっと基礎研究にかかわる投資が必要と考えています。