国家と科学者

映画「オッペンハイマー」を見ました。昨年米国で公開になったものの、日本での公開は躊躇されていたとか。映画の中のいくつかのシーンもカットされたと聞いています。

まだ見ていない方に、映画のネタバレにならないように映画のあらすじをお伝えするならば、この映画は広島、長崎に投下された原爆を、理論段階から実用化まで指揮したロバート・オッペンハイマーいう人物の物語です。オッペンハイマーは理論物理学者ですから、原爆の実用化は一人では到底なしえませんでした。オッペンハイマーともに、原爆の実用化プジェクトである、マンハッタン計画に参加した多くの科学者やエンジニアの存在と、ナチススドイツの脅威を感じて戦争の終結を急ぐ米国の莫大な資金力、そしてその少し前の1900年代初頭から続く核物理学での多くの発見があってこそ、この計画の成功がありました。

日本での公開が遅れていたのは、戦争終結のための原爆投下を肯定するような表現があったから、あるいは原爆にかかわる映画自体がタブー視されているから等いろいろ言われていたのですが、ようやく公開になりました。日本にとってセンシティブな話題であろうと、これは史実の一部であり、米国の世論が当時そう思っていたから原爆は投下されたわけなので、目を背ける話題では決してないと考えます。むしろたくさんの人、特にサイエンスを専攻する人たちに見てもらいたい作品です。

どうして科学を目指す人に見てもらいたいかと言えば、この映画の中では科学者としての視点というのも非常に重要と考えるからです。私も科学者の端くれとして、自分の研究を先に進めたい、自分の仮説を証明してみたいという気持ちがどの科学者にもあることを理解しています。

科学研究には、紙と鉛筆でできるようなものもあれば、莫大な研究費なしにはなしえないものもあります。核物理などはその典型でしょう。私は卒業した高校の同窓生に物理屋が多く、原発開発にかかわるような同窓生も多くいることを知っています。核物理で扱う装置などは、大学の研究室の一般的な予算で賄えるようなものでは全くなく、本当に国家プロジェクト的規模の資金が必要になることが多いです。超大型の加速器など、小国の国家予算では到底賄えないものすら存在します。ですからこうした研究は、多くの場合、原発のようなインフラ事業や、軍事産業と深く結びついています。科学者が例え殺りく兵器への転用を望まなくても、資金を提供した国や企業によって都合の良いように使われてしまう可能性は非常に大きいのです。

オッペンハイマーが指揮したマンハッタン計画も、研究成果を見届けたいという科学者の興味にとどまることはなく、政治的に利用され、そして広島、長崎への原爆投下につながります。

マンハッタン計画のきっかけになったのは、当時の科学者たちが、フランクリン・D・ルーズベルト大統領にあてた手紙でした。ナチスに迫害されて米国に亡命していたアインシュタインも、この手紙に署名しています。手紙にはナチスに先に原爆を実用化されないよう、「米国でも原爆の実用化を進めるべき」と書かれており、これをきっかけに大統領が当時のお金で3兆円ほどの巨額の資金と人員の動員を約束しました。そして計画開始からおよそ2年で原子爆弾が実用化されるのです。

米国が対抗意識を燃やしていたナチスドイツは、原爆の実用化を検討していたものの資金不足などの理由により中断し、米国で原爆の実用化ができる前に降伏してしまうので、原爆を落とされることはありませんでした。そしてこの計画の間に徐々に脅威になっていた日本に投下することが検討されはじめます。ただしこの計画にかかわった人たちの間でも、日本にいきなり落とすのか、あるいはこの原爆の実験映像を見せて抑止力的に使うのか、事前に告知して市民の非難を促してからにするのか、様々な議論があったようです。最終的には、原爆を使わなければ日本は降伏せず、戦争被害が広がるとして実行に移されました。ですがその経緯の詳細については、わかっていないようです。

米国は世界で初めて原爆の実用化に成功するわけですが、実は日本でも原爆の実用化計画はありました。日本の場合は資金不足のため実験上は成功していたものの、実用化できなかったわけです。万が一日本が米国に先駆けて実用化できていたとしたら、特攻とか、人間魚雷とか、狂気の発想を持つ当時の日本の軍部が原爆などを持ったら、敢えて世界中に放射能が拡散するようなバカなことを考える可能性もありますし、とんでもない結果となっていたと思います。日本が先に実用化していなくて本当によかったと個人的に思いました。

ただ原爆実用化後の米国政府は、核開発をどんどん推し進め、反対派を社会主義者として徹底的に取り締まり(赤狩り)、ソ連との対立が深まる中で核を含む軍備を益々増強していく危険な国になっていきます。映画の中ではルイス・ストローズが、国際的な核管理体制を進めようとするオッペンハイマーと対立し、その失脚を画策した人物として描かれています。オッペンハイマーはこの赤狩りで公職を追放され、そして原爆投下の現実に向きあうことになります。

映画の中では触れられていませんが、マンハッタン計画の発端となった手紙に署名したアインシュタインもまた、原爆投下を深く後悔した科学者の一人でした。アインシュタインは第二次世界大戦前、日本に招かれて講演しています。その際彼が最も気に入った場所は広島県の宮島と瀬戸内海の風景であり、日本人から受けた歓待を生涯忘れませんでした。戦後再び来日し、湯川秀樹博士らと対談した際に、「原爆の実用化を止められなかった」と、アインシュタインが涙した話は有名です。そしてその後のラッセル=アインシュタイン宣言に至り、これには湯川博士も署名しています。

オッペンハイマーは語学の達人で、実際何か国語も堪能でした。彼の愛読書はサンスクリット語で書かれた、古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』だったそうです。その中の一節に、御者を務めるクリシュナが、闘いに消極的な王子アルジュナを説得するために恐ろしい姿に変身し「我は死神なり、世界の破壊者なり」と語った部分(11章32節)があります。オッペンハイマーはこれを引用し、クリシュナと自分自身を重ねて「世界はそれまでと変わってしまった。我は死神なり、世界の破壊者なり」と言ったそうです。

米国で彼は、戦争終結のために原爆を実用化した人物として、あるいは科学者としても尊敬されている人物の一人で、世間からの称賛を一身に集めました。原爆を投下したのは、彼の判断というよりは当時の政府の判断です。ですが個人としては、ずっと自責の念に向き合う晩年でした。

この映画を見た後、発明や技術を利用しようとする政府と、政府に資金を提供させて自身の研究を進めたい科学者という対立関係は現在でも続いていると気づきました。映画の中では核物理学者が主人公でしたが、これがRNAワクチンの研究者や開発者であることもあるかもしれません。学者というのは時に視野が狭く、自分の研究室の外は見えていないことがあります。時に利己的になることもあるかもしれません。世の中のために良かれと思い、あるいは単に真理を追究するための研究が、意図せず悪用されないよう、世界を広く見渡してみることも科学者に求められることだと映画を見て改めて思いました。たくさんの方に見ていただいて、いろいろなことを感じていただきたい映画と思います。

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