親ガチャについて

親ガチャとは?

最近親ガチャという言葉が流行しているらしい。

親の職業や財産で子供の将来はすでに確定しているというような意味で、貧乏で無学な親の子供に生まれたら一生底辺確定だから不公平なのだそうだ。

確かにそういう面もあるかもしれないけれど、どんな親の元に生まれるかは、人生のほんの一部のファクターにすぎない。人生の目的は死ぬ間際に「幸せな人生だった」と思うことではないだろうか。お金があるとか、ないとかはあまり関係ない。お金があっても不幸のどん底で亡くなる人もいれば、貧乏でも病気でも、幸せのうちに亡くなる人もいる。高い社会的地位を得ても、汚職などで晩節を汚し、寂しく、世間から疎まれて惨めに亡くなる人もいる。

私は一億総中流と言われた日本全体がバブルで沸いていた頃に家が貧乏だったので、小さいころは社会から取り残されているかのような、ある種の疎外感を感じていた。そのせいかずいぶんと長い間、自己肯定感が低かった。だいたいいいところの子供って、能力的に全然大したことなくても親に、「XXちゃんはすごいね、なんでもできるね」と言われて育つから、私から見ると必要以上に自己肯定感が強い。

その点私なんか、小中学校のテストなどは全然勉強なんかしなくてもほぼ満点だったけれど、親に見せたところでなんの興味も持ってもらえないから家に帰る前に丸めて捨ていたし、成績表もほとんど見せたことがない。自分が学校の勉強ができるタイプだと知ったのは、かなり後になってからだ。それよりもこんな家庭の状態がいつまで続くのだろうか、親はもっと収入の良い仕事に就けるだろうか、自分の将来は、日本の政治や経済はこれからどうなるのだろうと、心配事が頭の中をぐるぐる回るだけで、他の子がゲームやテレビの話題で盛り上がっても全く頭に入って来なかった。

が、子供は自分で稼ぐことができないわけだし、独立もできないので、心配したところで全く無力だ。だから自分のことにとりあえず集中する方がいい。将来が気になるのだったら、とりあえず学校の勉強くらいはしておく。成績が良すぎて困ることはない。特に日本は、社会階級がほぼ固定されているような国に比べれば、学校の成績さえよければ下剋上は全く難しくない。日本の場合、公立学校はまだまだ機能しているし、米国のように良い大学=授業料のやたら高い私大ではない。国公立大学には授業料の免除制度もある。むしろ貧乏な家の子供の方が、確実に授業料免除を得られるし、もらえる私設財団の奨学金の種類も多い。

もしそれでも経済的に大学進学が難しければ、働きながら授業料の安い夜学や通信制大学に行くことも可能だし、授業料無料の上に給料までもらえる、「大学校」に入るという選択肢もある。個人的には今の時代、必ずしも大学に行く必要はない気もするが、貧乏家庭の子供はできるのなら名前の知れた大学に行った方が、親のコネが使えない分、就職には有利だろう。

塾に行けないので勉強できないというのは、単なる言い訳にすぎないと思う。今の時代情報は自分から求めれば、いくらでも手に入る。やるかやらないか、違いはそれだけではと思う。できない理由を探している暇は貧乏な家の子供にはない。勉強しなければ、一生底辺から抜けられない、人生終わりという、適度な危機感&崖っぷち感があるからこそ勉強もやる気になるのであって、逆に何不自由ない家に生まれた子が、何をモチベーションにして勉強するのか私にはわからない。

学校の勉強が嫌いな人、どうしてもモチベーションが湧かない人は、早いうちから別の方法で生計を立てることを考えるのが良いと思う。手に職をつけるというやつだ。嫌々長時間勉強したところで、勉強が好きな人、得意な人には絶対かなわないし、学校の勉強でのパフォーマンスは一生低いままだろう。自分が他人より優れていると思われる点を意識して、できるだけ早い段階でエネルギーを得意分野に集中するのがいいと思う。惰性でなんとなく周りにあわせて学校の勉強するのは、たぶん一番人生を無駄に過ごすことだと個人的には思っている。

日本は終わっている国なのか

コロナ以前は仕事で良く中国やインドに行っていた。例えばインドでは、車が止まるたび、ワラワラと集まってくる子供たちがいる。萎れた花を売ろうとする女の子、窓を拭いてお金を得ようとする男の子、その他いろいろな理由で近づいてくる。その中に自分の姪と年齢の頃も容姿もそっくりな娘を見つけて思わずドキッとしたことがあった。

その子は私にウインクし、手を何度か口元に持っていく仕草をする。食べるものが欲しい、それを買うお金が欲しいという合図だ。思わず車のドアガラスを開けて20ルピー札を渡そうとすると、同僚に止められる。「彼らに20ルピーは多すぎだ」と。そして同僚は私から20ルピー札を取り上げて、彼の財布からとりだした1ルピー札を私の代わりに彼女に手渡す。一瞬だけ彼女が嬉しそうな表情に変わる。でも1ルピーで、今のインドで何が買えるというのか。

2000年代初頭、私は商社に勤めていた。そしてよく上海に出張した。当時はまだ上海の地下鉄が数路線しかなく、二号線の始発は西の「中山公園」、終点は東の浦東地区にある「張江高科」だった。私の定宿は中山公園の駅から徒歩圏内で、張江高科にある企業と仕事をしていた。商社マンは通常、途上国では車でしか移動しないが、私は現地の人の生活を感じたくて、できるかぎり公共交通機関で移動していた。

当時浦東地区はあまり開発が進んでおらず、地下鉄が浦東地区に入ると乗客もまばらだった。そのタイミングを狙って、いつもやってくる物乞いの子供の集団がいた。皆一様に片側の腕と脚がないなど、障害児ばかりだった。乗客一人一人の前に立って、手を出してお金を要求する。

後から聞いた話だが、その子たちは元から脚や腕がないのではなく、物乞いでたくさん稼げるようにと手足を切断されるのだという。まさに映画の「スラムドッグミリオネア」の中国版だ。その後地下鉄は延長され、張江高科地区にITや医薬の企業が増えるにつれ、地下鉄は浦東地区に入った後も満員となり、物乞いの子供たちも見ることはなくなった。

そんな子供たちをたくさん見ているうちに、自分が小さいころ悩んでいたことは、つまらないことだったと思うようになった。自分ではもう将来に絶望しかないような思いでいたけれど、それは自分が世の中を知らなかっただけなのだ。第一、この時代の日本という国に生まれてきたことだけでも、本当に幸運なことだと思う。日本だってほんの100年くらい前までは、飢饉でたくさんの人が亡くなったし、貧しい人は一生教育など受けられなかった。今の日本では無料で読み書きや生活に必要な算数、社会の仕組みを理解するための知識を得られる。その先は自分次第だ。

現状を変えるのはやっぱり意志の力

私は長年プランインターナショナルというNGOを通じて、スリランカの女の子と文通をしていた。その娘が18歳になり、援助対象から外れるという話を聞いて、現地まで会いに行ったことがある。スリランカでもかなり貧しい地区で、家には玄関ドアがなく(代わりに布が垂れているだけだった!)、人々はみな裸足で、出された食事は雑穀の粉を練って焼いたもの+砂糖(?)というものだった。

18歳と言えば、現地ではとっくに嫁に行っているはずの年齢だけれど、小さいころから文通していた娘は、高校を卒業した最初の村民になった。片道2時間バスに揺られ、高校のある町まで毎日通った。私と会った時は、医者になりたいと大学受験の準備をしていた。スリランカは社会主義国なので、大学の授業料は無料で、入学すれば生活費も支給されるとのこと。(現在どうなっているか気になるところです)

両親とも文字を読むことも書くこともできなかったけれど、娘は現地語も英語の読み書きもできるようになった。この娘の場合は本人の意志ももちろんあるけれど、彼女の母親が教育に理解があった。母親は教育の重要性を信じて、娘に仕事をさせるか、家事をさせる代わりに高校に通わせ、そして大学にも進学させようとしていた。意志は力なりだ。

一生懸命やってもうまくいかないこと、うまくいかない時期は誰にでも必ずある。それがどのような人生のタイミングで来るかはわからない。ただ人は困難を乗り越えるときに大きく成長する。親ガチャの負の運命を背負って生まれた子供は、小さいころから乗り越えるべき課題と常に一緒にある。人生を後から振り返ると、小さな困難を一つ一つ乗り越える経験が大人になって非常に役に立っていると感じる。困難の時期が早く来た方が、人間として早く成長できる。

むしろ子供の頃何の不自由もなく育ったのに、大人になって自分の無力さを思い知ったり、自分では乗り越えられないような壁に遭遇したりすることの方が、人生はるかにハードモードではないかと私は思う。親ガチャで裕福な家庭に生まれたとしても、ずっとその状態が続く保証はない。人生ずっとなんの困難にも遭遇しないような人もたしかにいるが、それはそれで刺激のないつまらない人生ではないか。幸せなはずのセレブや政治家の子女が、酒や薬物、ギャンブルにおぼれたりするのはなぜだろうか。

人生はカードゲームと一緒と思う。手持ちのカードがどんなに悪くても、プレーヤー次第で勝負に勝つことはできる。むしろ劣勢から挽回勝利できた時の方がずっと楽しい。そういう意味では、そこそこ豊かな時代に生まれたのに、日本の世界におけるプレゼンスが年々縮小して将来に希望が持てないが、さりとて安全で居心地の良い沈没しかけた船に乗ったまま抜け出せない今時の若者の方が、戦後ゼロからの復興と経済成長を経験した団塊の世代より、圧倒的に不幸感が強いのは納得ではある。