9月29日にイスラエルから自宅に戻りました。ブログを読んでいただいている皆様もご存じのように、10月7日、イスラエルのパレスチナ自治区の一部であるガザ地区から多数のロケット弾がイスラエルに向けて発射され、以降混乱が続いています。恐らくイスラエル側もこれから報復行動に出ると考えられ、中東は再びきな臭くなってきました。
イスラエルとパレスチナの問題については、いろいろな方が解説していますが、とりあえず簡潔に知りたいという方は、下記のリンクをご参照ください。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji97/
昨日、イスラエルから戻ってはじめて、一緒にイスラエルを旅行した友人とウェブで話をしたのですが、旅行中に出会ったイスラエルの人たち、アラブ系のパレスチナ人たち、ヨルダンで出会ったアラブ系の人たちとのやり取りを思い出し、3人とも複雑な心境でした。この事件が起こる前に無事に帰国できたことは運が良かったとしか言えません。
ヨルダンのペトラ遺跡を訪問した際にガイドをしてくださった現地の方が、最近のイスラエルと近隣のアラブ諸国の関係は非常に改善していると、本当に嬉しそうに説明してくれたことを今でも鮮明に覚えていますし、アメリカ人の友人も今回の事件には驚きを隠せないようでした。事実、イスラエルは近隣のエジプトやヨルダンとはすでに国交を回復していますし、近年ではサウジアラビアとも国交回復に向けて交渉が進んでいるという話でした。
ヨルダンのペトラ遺跡を訪問する際、エルサレムからは紅海に面した「エイラット(Eilat)」という国境の街まで行き、そこから隣接するヨルダンの「エルーアカバ(El‐Aqaba)」に抜けるのですが、エイラットからは海の向こう側にエジプトが見えますし、紅海に面するリゾート地のような雰囲気を醸し出していました。こんなところで一カ月くらいのんびり過ごせたら。。。と思ったくらいです。新しい家々や建設途中の建物がたくさん立ち並び、これからものすごく発展しそうな街という印象でした。が、それはもちろん中東情勢の微妙な平和のバランスの上に立っているのです。
一方で現地に住むイスラエル人であるホテルのオーナー(60代、70代くらい)は、私たちがヨルダン川西岸のパレスチナ自治区にある「ベツレヘム」に行ったという話をすると、パレスチナ自治区には子供の頃以来行ったことはないと言っていました。ポーランド系アメリカ人で、ユダヤ教徒である友人が、ボストンで一時世話をしていたというイスラエル人女性二名とエルサレムで再会を果たしたのですが、「イスラエル人は中東では嫌われているから、他のアラブ諸国なんか怖くて絶対行けない」と、アラブ系の住民とイスラエル人の間にかなり温度差があるようにも感じていました。
今回ロケット弾を発射したと言われているガザ地区というパレスチナ自治区は、同じ自治区であるヨルダン川西岸地区とは離れて飛び地のようになっているところです。そこに「ハマス」のような過激な思想を持つグループがいるのだと思います。
一方のヨルダン川西岸地区は、死海リゾートや先ほど述べたキリストの誕生地とされているベツレヘムなどの観光地を多く抱えています。ちなみに観光客はイスラエルもパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区)も出入り自由です。パスポートチェックもありません。私たちはアラブ系のタクシーの運転手さんに、死海リゾートとベツレヘムの両方につれて行ってもらいましたが、会う方皆さん感じの良い方ばかりで特に危険な雰囲気は感じませんでした。
運転手さんの説明によると、イスラエルとパレスチナ自治区の車両はナンバープレートで区別されており、イスラエルの車両が黄色背景に黒文字、パレスチナ自治区の営業車両は緑背景に白文字、個人車両は白背景に緑文字で、パレスチナの営業車両(タクシー等)はイスラエル側に自由に出入りできるが、個人車両に関しては医者など特殊な職業でかつ許可書を持つ人に限りイスラエル側に入ることができるとのことでした。
死海リゾートで会った、監視員をしているという青年は、パレスチナでは満足な教育にもアクセスできないし、将来を悲観していると。今は少しずつお金をためて、ビットコインやFOREXに投資しているとのことでした。長年フィデリティ証券に勤めている友人が、もっとリスクの低い金融商品にも分散して投資をした方が良いとアドバイスしていましたが、そもそもそんな投資の教育を受ける機会も、投資信託のための証券口座を開設するような機会もないのだと思います。イスラエル自体、世界の金融ネットワークからは除外されているとフィデリティに勤める友人自身が言っていましたし(私はこの件は詳しくありません)、そこに住む人たちは日本人が普通に使っているサービスでさえアクセスすることができないわけです。(だからこそ既存の金融システムによらないフィンテックがイスラエルで発展したのでしょうね)
死海リゾートの後、ベツレヘムに行ったのですが、そこも観光客であふれていました。私はキリスト教徒ではないので、ベツレヘム自体に思い入れがあるわけではないのだけれど、キリスト生誕の地である教会の真向かいに大きなモスクがあり(中にも入れてもらえ、見学させてもらえた)エルサレム同様、様々な宗教を信じる人たちが、長年共存してきた地なのだということを実感することができました。
ベツレヘムからエルサレムに戻る途中、エルサレムとベツレヘムを隔てる巨大なベルリンの壁のような壁を案内してもらいました。(動画)昔はエルサレムからベツレヘムまで車で5分くらいだったのが、今は壁の周りをぐるっと回らなければならず、すぐ近くなのに遠くなったと。2005年から建設された壁は現在でも延長されているとのことでした。高さは15メートルほど、壁には様々な落書きがあり、その中には風刺画で有名なバンクシーのものもあそう。壁の向かい側には、すぐそばに壁ができたおかげで店舗を閉鎖せざるを得なくなった、シャッターのしまった商店の残骸がありました。その中にまだ営業しているのか、電気がついた店がぽつぽつとありました。その中に店主らしい老人が一人で座っている光景は、本当に胸が痛みました。
今回ロケット弾を発射したというガザ地区は飛び地であり、ヨルダン川西岸地区に比べ面積にしてはるかに小さい地区で、西岸地区に比べ観光客が訪れるような場所ではないし、経済的に潤っている地区とは到底思えません。地区の周りには、西岸地区と同じような壁がめぐらされており、住民はかなりの不自由を感じる状況ではなかったでしょうか。もちろんだからと言って今回のような武力行使が正当化されるわけではないのですが、人々の生活をよくするために存在しているはずの国家や政治が、住民の感情をより複雑なものにし、逆に生きづらくしていると思うと本当に悲しいです。
イスラエルは男女ともに徴兵があり、エルサレムの街中に銃を、まるでテニスのラケットでもぶら下げるように肩から下げた若い兵士をそこら中に見ることができます。首相官邸の前で会った女性兵士と一緒に写真を撮ってもらったのですが、彼女たちが戦争の前線に行くようなことがあるのかと思うと本当にやりきれない思いがします。イスラエルとパレスチナの問題が早急に解決されること、この争いによる被害者が少しでも少なくなることを祈ってやみません。