ギフテッド教育について

最近のニュースで以下のようなニュースがありました。

学校の「ギフテッド」実証研究、予算要求へ 文科相表明

これはまさに、私が取り組みたかったテーマです。国もようやくやる気になったかと、嬉しく思いました。ただエリート教育を否定というのはよくわからないです。英才教育をしていないのは日本ぐらいかと。

昔、日本でゆとり教育が導入されたという話を知人のインド人にした時、「世の中はどんどん技術が進化し、勉強しなくてはいけないことは増えているのに、教育内容を削るなんて日本政府はバカなんじゃない?」と言われました。その通りだったと思います。このゆとり教育のおかげで、大学のレベルも、産業の研究開発のレベルも影響を受けたと私は思っています。ギフテッドにとっては益々授業がつまらなくなっていたことでしょう。日本はできない子に合わせて、全体の学力を下げてきたブラックな歴史があるわけですから、そろそろ挽回する必要があると思います。授業についていけない子の救済=全体のレベルを下げるではないと思っています。

最近ゆとり教育からようやく復活しだしたと思ったら、5年くらい前にまた、最近統一教会問題で注目度上昇中の下村博文さんが、入試改革と銘打って、テストの成績より面接やボランティア、留学経験などを重視する入試に変えようとしていました。私はこれこそ一部の金持ち優遇の試験制度で、良くないと考えています。

世の中には、貧乏人は塾に行けないから勉強ができないと思っている人がいるようですがそんなことは全くありません。貧乏と頭の良さは反比例しません。それに塾に行けるのは、日本でも都会の一部の地域で田舎には塾なんかない地域もたくさんあります。塾に行かずとも、貧乏でも、成績のいい生徒というのはいくらでも存在します。貧乏な家庭の子供の大学進学率が低いのは、成績が良くないからではなく、家族のために働かなくてはいけない等、大学進学に経済的なバイアスがあるからです。だから貧乏に生まれると、頑張って勉強してもどうせ進学できないと、途中で勉強しなくなる子も一杯います。ただそれは将来をあきらめただけであって、頭が悪いわけではないのです。

無料で大学に行ける道があれば、家族を支えるという義務がなければ、自頭の良い子にとって、勉強するのは塾なんて行かなくても、なんとかなることです。それがそこその良家に生まれたけど、たいしてお頭が良くなく、親や塾の先生に、死ぬほど勉強しなさいと言われて初めてようやくペンを動かす勉強嫌いの生徒との違いです。これまで政策を作ってきた人たちって、どちらかと言えば後者が多いのではと常々感じていました。Yahooのギフテッドの記事の掲示板を見ると、小中学校の授業が簡単すぎて退屈でたまらなかったという人が結構たくさんいることに驚きます。多数派に反感を持たれないよう、ひっそりと生きてきたんでしょうね。

筆記試験というのは極めて公平な制度です。そこには男女の違いも金持ちも貧乏も関係ありません。でもボランティアの経験や留学経験というのは、実はお金持ちにものすごく有利な仕組みです。米国の有名私大では特に、ペーパーテストの他に面接やボランティアも考慮するというのが多いようですが、そのためにお金を出して海外でボランティアをさせたりする親が多いのだとか。そういうお金で買える体験をたくさんした生徒が、受験勉強もなしに有名私大により有利に入れるというわけです。

米国の場合、トップ校は圧倒的に私大が多く、私大がどんな基準で生徒を集めるか、他人がとやかく言うことではないかもしれません。授業料も破格の高さなので(年間学部で500万円くらい)、学費が払える家庭が優先なのも致し方なしです。ですが税金を投入している日本の国公立大学でそれをやったら終わりだと思います。

私は学習分野のギフテッドに限らず、能力のある子は勉強でもスポーツでも芸術でも、どんどん才能を伸ばすべく、ガンガン進むべきだと思っています。個人個人能力が違うのは当たり前なのだから、周りに合わせて足踏みする必要なんかないと思うのです。

一方で個別に授業の対応なんかしていたら、今でも十分忙しい教師はどうなるの?と、いう意見もあるかもしれません。私は普通の授業は習熟度に合わせた動画を見ればOKと思っています。林先生じゃないですが、下手な教師の授業より、上手な教師の授業の動画の方がはっきり言ってよくわかると思うのです。教師は、生徒の能力に合わせてどの授業を取ったらいいかアドバイスしたり、学校行事に専念する。その他動画以外の実験や、クラスで一つのテーマを協議したり、フィールドワーク的なものをしたりするときに、ファシリテーターとなる。音楽や美術、体育、家庭科などもクラスでやった方が学習効果は高いと思っています。

私の大学の時代、そこそこの進学校出身の同級生に聞いた話では、受験勉強メインの学校は、理科の実験はしないというところが多いようです。幸いにも私は小学校の時から、実験やフィールドワークが多い学校で学んできました。教科書だけの授業ばかりだったら、絶対今の自分はないと断言できます。そんな授業だったら、授業に出ず自分で教科書読んで勉強した方が早いです。そして理科の実験なしに理系人材は育ちません。

私の札幌時代の中学の理科の先生は理学博士で、訳あって中学の先生をやっていたようです。毎回実験に必要な器材やお金をやりくりしてくれて、本当にたくさん実験しました。ご本人も時々大変だと弱音を吐いていたのを覚えています。実は私も理科の教員免許(高校)を持っており、母校に教育実習に行ったこともあります。理科の実験の準備は時間もかかりますし、授業中も気が抜けず、授業が終わった後もレポートの採点もあり大変だけれど、やっぱり授業の食いつきが違うので、教える側としても面白いのです。

教師としては教育指導要領に沿って、教科書と副教材を教えている方がずっと楽です。時間が余ったらワークブックをやるとか。標準化された授業に関しては、逆に生徒に個別に対応してもらい、単位制にして、学年ごと科目別に全国統一習熟度試験を実施し(年に何度か受験できるようにする)、合格したら、年齢にかかわらず先に進む、不合格なら何年でも同じ学年で勉強できる方がいいのではと。そうすれば在宅やフリースクールでの勉強もOKにできると思うのです。できない子にとっては、わからないのに無理やり周りと同じタイミングで進学させようとするから、ストレスになると思っています。

昔、家庭教師で初めて担当した子が、中3の2学期で英語の動詞と名詞の区別がつかず、文章書かせたら、4つくらい動詞を並べて愕然としたことがありました。自分に合ったペースでじっくり勉強すれば、意外と英語が得意になっていたかもですが、いかんせん日本の学校の試験は選択式の試験も多いので、適当に1とか2とかアとかオと入れると、何点かは点数が取れてしまいます。日本の場合、中学までは試験が零点でも進学できるのかもですが、それが果たして良いのかは疑問です。きっとその子は、なんとなくわかったふりをしてやり過ごしてきたんでしょうね。

米国留学時代、私にはポーランド系アメリカ人のルームメートがいたのですが、彼女によると東欧の試験は、小学校からほぼすべて記述式で、選択式はないと言っていました。私の尊敬する米原万里さんも、チェコのロシア語学校で学んだ時、同じような経験をされたと著書にありました。記述式はよく理解していないと回答できないので、採点は大変だけど理解度はよくわかると思います。

そして大学の試験は、東欧では教授と一対一の口頭試験で、一時間くらい教授に与えられたテーマでしゃべるのだとか。ロシアに留学経験のある知人も、同じことを言っておりました。不合格だったら翌年にまた同じ試験とか。留学生でも口頭試験とはなかなか厳しいですよね。日本人が口下手なのは、小学校からのスピーチ訓練が全く足りないのではないかと、日ごろ多弁な海外の同僚たちに囲まれて思っています。受動的な授業は全部動画にして簡略化し、その他を充実させてはと思っています。

脱線しまくりましたが、日本にも今後多様性を重視する教育が浸透することを期待しています。