日本の医薬品研究とベンチャー

今日も個人的なブログから一部抜粋です。

私は長年医薬研究を受託する海外企業に勤めてきました。最初の会社は中国、その次は米国、そして現在はインドの企業です。医薬研究(創薬研究)を外注するという動きは2000年くらいから始まりましたが、日本企業は当初研究の外注には消極的でした。企業秘密が盗まれるのではないか、相手が中国やインドなら、日本企業のようにレベルの高い研究なんてできっこない等々、いろいろな考えがあったわけです。

2000年代初頭の研究の外注は、プロジェクトのほんの一部だけ、研究の重要な部分に触れないようなところを、恐る恐る外注するという感じでした。初めのころは確かに、中国やインドと日本の研究者とのレベルの違いというのも明らかにありましたし、受託企業の設備や機器が日本より一世代遅れているなんてこともありました。使用している試薬の純度が低いとか、物流に問題があってなかなか手に入らないとか、税関の対応が大変で輸入できないなんてこともありました。

研究の委託をする企業というのは、日本企業だけではもちろんありません。メインのお客さんは、今も昔も米国企業です。私のいた企業でも、一番のお客さんは常に米国企業でした。プロジェクトの規模も、売上も、日本とはけた違いでした。現在、米国の受託研究の市場は、感覚的には日本の50-100倍くらいあると思います。と、言うのは、製薬企業も含めた医薬研究開発企業の数が、圧倒的に米国は多いからです。

医薬品市場に関しては、世界で最も大きい市場が米国、次が中国、その次が日本です。日本の医薬品市場は、米国の6分の1程度です。同じ規模の市場を生み出すために、米国は日本の10倍以上研究開発資金を投入しているという感覚です。私が勤めているような受託企業でも、米国と日本の売上の差はそのくらいはあるのではと思います。つまり米国市場は新しい医薬品を生み出すために、日本に比べかなりの投資をしているということです。

話を戻すと、2010年くらいまでは、規模の違いはあっても欧米と日本では研究委託に関し、同じような動きをしていました。ですがこのころから米国企業は、創薬プログラムを丸ごと受託企業で実施するようになりました。中国の企業に勤めていた時は、プロジェクトマネージメントに白人が多かったのですが、それはお客さんである製薬企業の責任者が、そのまま受託企業に転職して仕事を続けていたからでした。

その動きに伴って、中国やインド企業の創薬研究力は飛躍的に上がりました。そりゃあ、欧米企業のプロジェクトを社内プロジェクトとして実施しているようなものですからノウハウはもろに伝わるわけです。それからしばらくすると、欧米製薬企業の研究所閉鎖ラッシュがありました。社内に費用のかかる人材をキープしなくても、安く海外で創薬研究ができると実証されたわけですから、自前の研究所を維持する必要がないわけです。

日本から見ると、欧米の研究者はクビにされてなんて気の毒なという感じに見えるかもしれません。ですがこの製薬企業の研究所閉鎖ラッシュをきっかけに、その後米国は創薬ベンチャーで溢れかえることになりました。社会全体としてはメリットが大きかったのです。製薬企業をクビになった人たちが、次々とベンチャーを設立し、あるいは新しいベンチャーに移動したからです。おかげで製薬企業のノウハウがちゃんと循環し、米国のベンチャーは次々と新しい医薬品を世に生み出すようになりました。

そして現在、創薬研究の受託企業の最大のお客さんは米国のベンチャーです。製薬企業から依頼されるプロジェクトももちろんありますが、以前に比べると明らかに研究プロジェクトの規模は小さくなっています。そして製薬企業はもっぱら、ベンチャーが創生した医薬品を導入したり、会社ごと吸収したりという役割に変わっています。

一方の日本は、製薬企業に入った研究者は、基本定年まで別の企業に移ることはありません。研究を続けられなくなった人は、同じ会社の特許部門や、ライセンス、学術、開発など基本別の部署で働くということが慣例になっていました。最近は別の製薬企業に移る人も多くなってきましたが、私が社会人になったばかりのころは、製薬企業間で研究者の移動を禁止する協定があったくらいです。

研究職を解かれて、別の部署で新しい仕事になじめる人は問題ありませんが、そうでない人もたくさんいるでしょう。そして研究者として優秀な人でも、別の部門で冷や飯を食い、「働かないおじさん」と陰口をたたかれつつも、定年までひたすら耐え忍ぶというのが日本のスタイルです。製薬企業はなんだかんだ言って安定していますし、お給料も年金の受取額も高いので、多少の不遇には目をつぶる人が多いのだと思います。企業全体としては働く意欲のない人をずっと抱え続けるというジレンマに陥ります。

日本の医薬ベンチャーはというと、アカデミアしか知らない世間知らずな大学の先生が、慣れない社長をやっていたりします。いかんせん、基礎研究を実用化することに関しては全くの素人ですし、会社の中に誰も製薬企業出身者がいないということも珍しくありません。論文を書けば製薬企業が向こうからライセンス交渉にやってくると考え、自分たちの研究を製薬企業に売り込む必要があるとは思ってもいませんし、事業開発なる仕事が存在することも知りません。

国から細々と研究資金を得て、派遣で研究員を雇い、ほぼ研究室と同じような仕事を会社でも再現しています。あるいは知り合いの大学の先生に化合物の合成を依頼し、年に数化合物作っては、思い出したようにアッセイをして化合物の効果を確認し・・・ですと、正直、いつまでたっても医薬品候補にはたどり着けません。

日本の医薬ベンチャーに多いパターンとして、創業から何年もたっているのに一向にプロジェクトが進んでいない、でも会社は一応存続しているというのがあります。きっと、ものすごくお金をケチケチ使っているのでしょう。ですが医薬品研究はグローバル競争です。いくらいいアイディアで起業したとしても、論文や特許から、競争相手が新たな着想を得、どんどんプロジェクトを先に進めてしまいます。

米国のベンチャーが日本の何倍も研究の外注にお金を使っているように見えるのは、Time is Money をちゃんと理解しているからです。とにかく他社より先にプロジェクトを進めるために、プロジェクトをバンっとまとめて外注するわけです。お金はベンチャーキャピタルから主に調達しますが、その調達金額も、日本と米国では1ケタ、2ケタ最近は違っています。

また日本はとにかく事務仕事が遅く、契約など、米国企業が1週間程度でできることを、数か月、半年かけるようなことがザラにあります。研究者は優秀だけど、研究者をサポートしている文系の事務職の仕事が日本は異常に遅いと感じます。これは能力的な差というよりはきっと、どうでもいいコンプライアンスとか、稟議とか、根回しとか、仕事にたどり着くまでが長いからではと思います。

またメンタリティとして、日本企業は急いではいないというか、時間をかけすぎることが莫大な機会損失になっているということを現在でも実感できないでいます。ゆっくり仕事をしても、あるいは仕事そのものをしなくても、正規雇用なら定年まで安泰というのが、イノベーションにおいては負の作用があると思っています。おそらく同じようなことは、医薬研究以外の現場でも起こっていて、これが日本で30年くらいイノベーションが起きなくなった決定的な理由ではないかと感じています。

つい最近、岸田内閣で、スタートアップ(新興企業)担当大臣を置くことを検討しているというニュースがありました。私もベンチャーをどんどん作って投資するのは賛成です。ですが政府がこうしたベンチャーを、自らコントロールしようとするのは反対です。ベンチャーキャピタルというのが日本にもあるのですから、そのベンチャーキャピタルに例えば100億円ずつ資金を注入して、ベンチャーキャピタル同士を競争させればいいだけの話です。5年後、10年後にパフォーマンスの良いベンチャーキャピタルにだけ追加投資をするようにすればいいと思います。

圧倒的に事務仕事の遅い日本政府がバックアップしようものなら、うまくいくベンチャーもスタートから世界に後れを取ること必須です。新型コロナワクチンの供給契約締結も、日本だけが圧倒的に遅かったですよね。あれは日本のお役所のいつものペースだと私は感じていました。同じ間違いは何度も繰り返すべきではないと思います。