大学10兆円ファンド 投資先の決め方について その3

皆さんはイグノーベル賞というのをご存じでしょうか?ノーベル賞のパロディとして創設され、世の中の発展に貢献するというよりは、ちょっと変わったユニークな視点で、聞いた人が思わずクスっと笑ってしまうような、あるいはなるほどね~と唸るような、そんな研究に与えられる賞です。日本はこのイグノーベル賞に関して常連国になっています。私が卒業した北海道大学薬学部の先輩にあたる、中垣俊之さんという方が粘菌の研究で2回も受賞されています。日本人がこのイグノーベル賞の常連になっているということは、日本の研究者の視点が実はとてもユニークで、かつ素晴らしい研究成果を出しているという証拠でもあると思います。そんなこともあり、イグノーベル賞の発表のある時はいつも注目しているのですが、今年は発表時期に仕事におわれ、ついつい確認しそびれていました。

今年のイグノーベル賞は、工学賞で千葉工業大学の松崎元教授らの研究グループが受賞されています。ですが私が気になったのは、経済学賞の、「なぜ最も才能のある人ではなく最も幸運な人が成功することが多いのかを数学的に説明したことについて」でした。

詳細については、下記のリンクから受賞の元になった論文をご確認ください。

TALENT VERSUS LUCK: THE ROLE OF RANDOMNESS IN SUCCESS AND FAILURE

また英語の論文なんて読むのが面倒という方は、下記の動画がとてもよくまとめられているので、是非ご覧になってください。【2022イグノーベル】資本主義は才能のある人に不利である【ゆっくり解説】

さてこの研究、「成功に至るために必要なのは才能なのか、それとも運なのか」という疑問から発展し、統計学的なシミュレーションを使い、「そこそこの才能を持った運に恵まれて人」は「才能のある運に恵まれない人」より成功する確率が高いということを証明しています。つまり人生で成功するかしないかは、人生の後半でランダムに起こるラッキーな出来事が偶然重なることの方が、影響力が大きいのだそうです。この理論を使うと、研究で成果が出るのは、非常に優秀な研究者だからというよりは、たまたまその研究者の運がよかったからとなり、研究費の配分は優秀な研究者に集中的に投下するより、できるだけ多くの研究者にばらまいた方が、運に恵まれる研究者の絶対数が多くなり、大きな発見や面白い研究成果に結びつく確率が高くなるということになります。

大学10兆円ファンドでは、すでに「大学10兆円ファンド 投資先の決め方について その1」で述べたように、引用回数の多い論文を量産している大学に集中的に投資する方針のようですが、今回のこのイグノーベル賞で証明された理論では、それはむしろ逆効果をもたらすということになります。

もっとも、究極的に研究者全員に同じ金額をばらまけばよいかというと、それもちょっと違うと思います。研究の内容によっては高額な器材なしでできない研究や、逆に研究費はあまり必要のない研究もあるかもしれません。研究分野に合わせたある程度の分配戦略は必要と感じます。特定の大学に研究費を集中投下するやり方は、最近躍進の著しい中国を意識してとのことと思うのですが、日本でこのやり方がうまくいくのかは疑問です。

今からちょうど10年位前、時は民主党政権でしたが、内閣府に医療イノベーション室というのがありました。各国政府の創薬研究のサポート政策を調査すべく、いくつかの国に調査団を送り、調査をしました。(この調査の結果、米国のNIHの真似をしてできたのが国立研究開発法人日本医療研究開発機構、略称AMEDです)私は当時中国企業に勤めていて調査対象にそこそこコネクションがあったため、中国の調査団に同行し英語通訳&アポ取りを担当しました。(中国は研究者もサポート職員もみな英語が達者だったため、インタビューの90%は英語で実施しました)

日本政府側の目的が、単に他国の様子を見たいという理由のため、なかなか調査に協力してくれるところがなく苦労しました。日本政府には相手が大事な時間を割いて会ってくれるという意識がなく、「日本の内閣府が話を聞きたいと言っているのに調査に応じないとは何事だ」というような失礼な態度でした。かつ調査担当者が私に「よろしくお願いします」と言って黙ってしまい、調査の詳細を聞かされていなかった私が冷や汗かきつつ一人でずっとしゃべる羽目に(もはや通訳ではない)。もちろん(?)、調査の後、調査をした研究機関へのお礼メールなども内閣府からは一切ありませんでした。(日本の外交下手がよくわかる事例です)

その時の調査では、中国はどちらかと言えば特定の大学に集中投下型の政策をとっていました。また当時中国は、欧米に留学した俗に海亀と呼ばれる研究者を好待遇で呼び戻し、大学の研究レベルの底上げを行っていた時期でした。当時から重点大学と呼ばれる大学は、日本の大学よりはるかに素晴らしい設備や機器が並んでいましたし、外資系製薬企業との共同研究なども積極的に実施されていました。そうした重点大学の教員は、若かろうが、女性だろうが、外国人であろうが、完全実力主義で成果を出せる人なら好待遇で迎えていました。ですが学生の指導(授業&研究室の学生の指導)に加え、研究の内容についても、年間の論文数や引用回数、企業との共同研究の状況など、細かく評価基準が決められており、達成できなければすぐにクビをきられる状況で、日本のアカデミアに比べて非常にハードルが高い印象でした。

つまり中国は研究費を出すだけではなく、その成果についてもがっちり評価&運用していたということです。その気迫あふれる状況に、日本は中国に直ぐに追い抜かれると思いましたが、まあ当然のように現実になってしまいました。

研究資金を成果のより出そうな大学に集中的に投下するという考えはありとは思いますが、日本の場合は研究に限らず、資金を出したら出しっぱなしで、その資金が有効に使われたかという検証がほぼないことが問題です。(助成された研究の報告書の提出はありますが、誰か読んでいますか??)

だったらこのイグノーベル賞を受賞した研究に習って、これから研究成果を出そうとする若い研究者を中心に、一気にばらまいてしまった方が、研究成果が出るのでは?と思うわけです。皆さんはどう思われるでしょうか?